サファリの手帖 <アフリカ徒然草> -7- Top Pageへ戻る
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 巨人伝説 Giant Footprint 〜 南アフリカ 〜

   巨人の足跡を探しに行った

MasaiBeads


 アフリカで小店(こだな)を開いているとさまざまな依頼が飛び込んできて、その依頼を実現して行く内、考えてもみなかった経験をさせて貰ったり思わぬ知見を得たりすることがしばしばある。

 <今度フラミンゴの大群を撮影しなければならなくなりました>
 未知のテレビ番組ディレクターから問い合わせのメールが届く。どんな番組でフラミンゴが必要なのか書かれていないけれども、この題材なら調べるまでもなく相当量の情報をお知らせできる。フラミンゴの大群が必要というなら動物の生態番組であろうかと勝手に考え、その線に沿って情報をお知らせする。自分に時間がある時の問い合わせだと、かなり詳細なお知らせを初っ端から書き送ることになる。未知の方が折角問い合わせてくれたのだから、いろんな情報を一遍にお渡ししようと、あれもこれもお知らせをする。
 返信が来て、フラミンゴの大群を背景に青年が女性にプロポーズする場面が撮りたいのだ、と知らされる。
 フラミンゴの大群が必要となる理由は随分いろいろあるものだなぁ、と、予想もしなかったことに感心する。
 そこに始まり、30分くらいの枠の中で青年がプロポーズするまでの展開に必要な要素を拾い集め、旅程を作る。
 その課程で、ケニアのさる場所にはサファイアが多く産出し、1970年代まで文明世界にこれを知る人はなく、日本人の鉱山師(やまし)が宝石探しに初めて訪れたとき、地元部族の子どもたちが高価なサファイア原石をおはじき代わりに遊んでいた、などという知見を得ることになる。

 または、<多忙な女優を伴ってンゴロンゴロとセレンゲティーに行かねばならない。アフリカで使えるのは3泊4日。それで、1時間弱の番組を作る。 どうやる?> そんな依頼も舞い込む。
 3泊4日の限られた時間を最大利用するために、無駄な移動時間をどうやって縮めるか?
 パズルを解くような面白さを感じながら、到着のナイロビ、ジョモ・ケニャッタ国際空港にセレンゲティーまで飛べるチャーター便を待機させ、ケニアに入国することなくセレンゲティーへ移動する、という答えを出す。帰りも同じ、セレンゲティーで最大限の時間を使えるように、チャーター便で夕刻のナイロビ空港へ乗りつけターミナル内で国際便にチェックインして帰国する。――これを実行したお陰で、小型機での夜間飛行という心地良い体験をさせて貰い、夜間飛行になる日没直前には、機の東側に聳える巨大な雨雲にかかる<真円の虹>を見ることもできた。
 先日も<南アフリカにある"巨人の足跡"を見つけ出し、画像を送れ>という依頼が東京から届いた。<どこにあるかは分からない。所在地を確認、撮影し、ともかく収録テープを送って欲しい>と言う。
 巨人の足跡! 何とも怪しいネタだ。 資料として送られてきた雑誌記事のコピーに写る××教授という人も、いかにも怪しげな人物に見える。
 とは言え、折角いただいたご依頼なので要求を満たすべく力を注ぐ。
 こんな時、インターネットは素晴らしい。
 雲をつかむようなこんな話しも検索すると手がかりが見つかる。見つかった手がかりから人に問い合わせる。貰った答えに沿ってまた検索をして、と、そんなことを繰り返したら正しい人物に行き着いて、案内をして貰えることになる。
 ただ、この足跡がある一帯は古来聖地として大切にされている場所なので、所在地をやたらと人に知らせぬように、という条件がついた。
 ヨハネスブルグの国際空港で落ち合い、その足でレンタカーを借りて目的地に向かう。片側二車線、制限時速120キロの高速道路をひた走る。案内人が運転してくれていたけれど、助手席から覗き込むとクルージング・スピードは時速140キロに達していた。そんなスピードが出ていると感じられないのは、車線がやたらと広く作ってあるからだろう。途中、昼食に立ち寄った路傍のファースト・フード店には、クレジット・カードでかけられる公衆電話が2台壁に取り付けられていた。黄金とダイアモンドを産出する国の豊かさに、貧しい東アフリカからやって来た者は舌を巻く。
MrSG 案内をしてくれたのは、ケープタウン在住のスチュアートさん。
 英国企業から南アに派遣され、帰国の辞令が下ったところで自主退社。そのまま南アに住み着いて30年余。今では国籍も南アフリカに変更している、還暦ちょうどの元英国紳士だ。
 彼は収益事業として世界各国のゴルフ好きに南ア各地のゴルフ場を案内したり、トーナメントを開催する会社を経営している。この収益事業とは別に特殊旅行を手配する会社も持っており、聖なる足跡の地へ案内してくれることになったのは、この事業との関連からだ。
 スチュアートさんは自動車産業の世界でバリバリ仕事をしていた40代半ば、ある日突然、目覚めたのだと言う。それは、世界がその姿をガラリと変えるようなスピリチュアル体験であり、その日以来、金儲けのための仕事は意味を失ったのだ、と言う。生きているすべての時間は生きていることの意味を知り、これを充分活用するためにあるのだと、その様に考えたのだと言う。自動車産業での管理職を辞し、ハンディ1まで打ち込んだ趣味のゴルフを生かす事業を始めた。そうしてできた余暇は、瞑想に耽り、あるいは、アフリカの伝統社会に確と存在する古来の知恵を学び、聖地や賢人を訪ね歩くことに専念しているのだと言う。特殊旅行の手配はこのライン上にあり、同じ目的を持って南アフリカを訪れる人々を、収益目的ではなく、案内する仕事も行っている。
 「最近、家を買ってね」運転しながらスチュアートさんが言う。「海が見渡せる高台の気持ち良い家なんだが、同じ敷地に事務所が3軒分建っている。会社を全部ここへ移したから、もう街の事務所へ通う必要もない。毎朝ゆっくり起きてグリーンティーを家内と共に飲み、急ぎの仕事があれば事務所へ行って仕事をし、それがなければ静かに瞑想に耽る。そうでなければ庭へ出て、前の持ち主が造った庭を私たち好みに造り替えている。そこに"禅の庭(ZEN Garden)"も造っているんだ。まだ、着手したばかりだし玉砂利がなかなか手に入らないので苦労しているんだが。――禅の庭には、竹も植えるものなのだろう?」
 悠々自適という言葉がそのまま当てはまるような、羨ましい暮らしぶりであるらしい。
 毎朝グリーンティーを召し上がり、週に一度はケープタウンの寿司屋でディナーをとる。禅の庭も自宅に構築しつつあると言うし、紅葉の盆栽を先日購入したとも仰有る。日本贔屓のご夫婦であるらしい。
 「日常生活のそこここに自然との対話を取り込んでいる日本の暮らしは大変にスピリチュアルなもの、と、家内共々敬服しているんだ。それに、寿司の旨いことと言ったら!」 

 全然面識のなかった人物からこんな話を聞けるのも、自分の仕事の面白い側面の一つだろうと思う。
 自分もアフリカの伝統的な知恵には一目も二目も置いているけれど、瞑想に耽ることもないし、アフリカの森羅万象をことさらスピリチュアルなアングルから捉えようとすることもない。スチュアートさんの案内でひた走っている目的地にある<巨人の足跡>も、だから、超自然のものというより風化や浸食で偶々その様な形状になったものだろうと、そう考えていた。  
 しかし、クルマで走れば走るほど、南アの豊かさが身に沁みてくる。
 二車線の高速道路は対向車線と広い広い分離帯で隔てられており、何かの都合で分離帯がなくなる場所にはその旨がきちんと遙か手前から表示されている。ほとんどの交差点は立体交差になっており、こんな道路は他のアフリカ諸国には求めようもない。そればかりでなく、そのゆったりとした広さと総延長は、あるいは、日本の道路網より優れたものであるかも知れない。レンタカーはニッサン・サニーだったけれど、この車種で時速140キロのクルージングを楽しめる道路は日本にないだろう。
 道路ばかりでなく、数十キロおきに出現するタウンシップの様子も他のアフリカ諸国にはない豊かさを見せている。小ぎれいで瀟洒な造りの住宅街や、庭先に停めてあるキャンプ用トレーラー。これを牽引して家族旅行に出かけるのが南ア一般人にポピュラーな休日なのだと言う。
 原野と見える広い土地は、しかし、よく見ればどこも柵に囲われ牧草が青々と茂っている。
 煙を上げる巨大煙突が幾つか見えるので尋ねると、黄金(きん)の精錬工場だ、というスチュアートさんの答え。
 キンのセイレンコージョー! やはり南アフリカですね、の感を新たにする。
 高速道路を外れ対面通行の一般道に入る。きれいな舗装路であることに変わりはない。
 周辺風景が牧草地から植林地へと変わり、しばらく行ったところで「ここだったな」と、スチュアートさんがハンドルを切る。と、ヨハネスブルグを出て数時間振りに初めて、未舗装路に入り込んだ。
 日本の方々にとっては当たり前のことだろうけれど、アフリカ暮らしの長い自分のような人間には、舗装路だけを数時間走るというのは稀有に属する体験だ。ラテライトの赤っぽい未舗装路に入った途端なぜかホッとする自分があり、助手席で一人苦笑した。
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 目的地に向かう道行きも撮影依頼項目に入っていた。未舗装路に入ったのだから、目的地は近いのだろう。けれど、空はあいにくの曇り空。今にも降り出しそうな重たい雨雲が垂れ込めている。
 余りにもたくさんある道路網にスチュアートさんが道中道を間違えたこともあり、すでに午後も遅い時刻になっていた。その上の曇り空では、ビデオを撮ってもきれいな色には写らない。
 そんなことを考えている内に、小高い丘の麓でスチュアートさんがクルマを停めた。
 「ここだ」と、左手を視線で示す。「ここからでも足跡は見えているのだが、見えるかね?」
 道路から5メートルほど入った斜面に大きな花崗岩が今にも転がり落ちそうな感じで直立している。足跡はその岩についているのかと目を懲らすけれど、のっぺりした岩肌にそれらしきモノはない。  「いや、あの一番上の藪の所だ」と、僕の視線が別へ行っているのを見てとったスチュアートさんが言ってくれる。
 ――けれど、見えない。
 ともかく、クルマから降りる。
 辺り一帯は林業会社の植林地であり、近在には住む人もない。無人の植林地が見晴らす限りのその奥までずっと続いているのだと言う。
 ともかく、現物を見てみよう。巨人の足跡というものを、ともかくこの目で確かめよう。
 運転席から出てしばらくそこに佇んでいたスチュアートさんが、回り込んで丘を見上げる僕に並ぶ。
 「ほら、あの一番上に突き出た部分の下の所」と、指さしながら足跡を示す。
OverLook
 見えた!
 低い雑木に隠れて全体は見えないけれど、確かに、人のつま先跡のように見えるものが岩にくっきり穿たれている。
 斜面を登り始める。足元は巨大花崗岩が地中から一部を露出した、その岩肌だ。長年月に削れた箇所には土が溜まり、雑草や雑木がまばらに生えている。
HealingStone 「この岩は、地元に住んでいた部族の人々が"癒しの岩"と呼んでいた物だ」歩きながら、微妙なバランスで直立する大岩を指してスチュアートさんが説明してくれる。「病人は伝統治療師に連れられてここへ来て、治療師と共に岩に手をつき治癒を祈った。大岩に身体治癒力があるというのは、各地の部族社会が共通して持っている考え方だね」
 そう言えば、3泊4日のセレンゲティー訪問にご案内した映画女優・田中麗奈嬢は、セレンゲティーのコピエの大岩に寝転んで『なんでこんなに落ち着くの?』と、繰り返し問いかけていたっけ。『地球と感応しやすい体質なのかな』とわけの分からないことをその時自分は答えたけれど、感受性を商売道具とする女優業の田中嬢は大岩の持つ治癒力を、アフリカのシャーマンの如く、感じ取っていたのかも知れない。
 ほんの小さな斜面を登っただけなのに息が切れた。はぁはぁ息をつきながら、その足跡の前に立つ。
 正直なところ、呆れてしまった。
 それは、確かに<足跡>としか呼びようのない形をして、花崗岩にくっきり深々と穿たれている。その形状は足跡以外の何ものでもない。靴サイズなら150cmほど、推定身長10m前後の人間の、左足の跡。
 同じ岩の周辺を見回してみる。壁のように立ちはだかるその岩に、砂を含んだ風が継続的に吹きつけたので穿たれたと考えられる、水平方向に削られた深さ30cmほど、角の取れた穴が幾つもあった。花崗岩とは言え、砂を含んだ比較的柔らかいものなのだろう。
 それと同じ事が起きて偶然こんな形に穿たれた、と、そういう偏見の視線で足跡と穴を見比べる。
 ――けれど、どうも説得力がない。足跡は余りにも完璧に巨大な人間の足跡なのだ。
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MrCredo  「我々ズールー族の言葉では――」足跡の撮影を終え、ヨハネスブルグ郊外に住まうズールー族の老シャーマン宅を訪れた。足跡に関する伝承などをインタビュー取材するべく、こちらの依頼に沿ってスチュアートさんが手配してくれていたのだ。「東西南北をこう言う」
 絵描きでもあるそのシャーマン――クレド・ムトゥワ師は、手近のスケッチブックを取り上げて描き出す。
 「北は、我らがやって来た所、と言う意味。これは、我々バンツー語族が大陸の北から南下してきて現在地に定住したのでそう言う。東は太陽のやって来る方向、西は太陽が行ってしまう方向、と、それぞれ言う。さて、面白いのはこの南。これは、『巨人の住む所』という意味だ」――
 クレド師は現在83才。ズールー族のシャーマンとして、一部の人々には世界的に知られている人物だという。事実、インタビューを行った居宅の一隅に日本人のものと思しき署名・捺印のある「梵字」の色紙が置いてあり、尋ねると「つい先日やって来た日本人僧侶が置いて行ったものだ。掲げておくと厄除けになるというので置いてあるんだが。……」と言う。他にも、シャーマンとして、あるいは、南アフリカの伝統的精神世界を語れる人物として世界各地に招聘され、講演を行ったことも数多いと聞く。日本にも1970年代に招待され講演旅行に出かけた、と仰有っていた。  

文字を持たなかったアフリカ部族社会では「語り部(かたりべ)」というものが任命され、部族に伝わる伝承を一言一句違わず後世に伝えるべく訓練される者があるが、クレド師はその語り部として、同じ語り部職にあった祖父からズールーの伝承を逐一記憶させられたのだそうだ。そして、その役職に就く者が一般人と異なる特異で鋭い感性を持っていることが少なくないのも事実のようで、この点でもクレド師は祖父共々、並大抵でない感応力を持っておられる、と言う。それで、語り部兼シャーマンという特殊な立場を今も保持し、広く知られているのだろう。
 「つまり、現在南アフリカとして知られている地域の南部には巨人族が住んでいた、ということになる」クレド師が続ける。「この巨人族は我々普通の人間を食べるとも言われ、怖れられていた」
 南を現す単語が【巨人の住むところ】という意味だというのは尋常ではない。人を食べる巨人族という伝承とセットになって、こんな基本用語に巨人が登場しているというのでは、これは???
 ――自分には自分なりの解釈が思い浮かんだけれど、インタビューの場で議論をしても始まらない。ズールー伝承の世界に、しばし浸らせて貰うことにする。
 ……
 「我々ズールーに限らず、巨人に関する伝承はアフリカ各地の多くの部族に伝わっている。私自身がこの足で歩き回り、直接この耳で長老やシャーマンから聞いた話の多くに、巨人の実在を示す伝承があった。
 話ばかりではなく、南アフリカの――、どこの博物館だったかな、巨人が使った石斧の実物が展示されているところがある。ほら、(手近の本棚から小冊子を取り出し写真を示す)ここに出ている。
 (図版の説明文には、長さ60cm、自然石が偶然その形になったのではなく、明らかに人の手によって削り出された痕跡が著しい、とある。)
 石斧を発見した著者が私の所に話を聞きに来た。ズールーや多くの部族に共通する巨人伝承を伝え、石斧が巨人の道具であったことに間違いない、と確約したものだ。
 君たちが撮影してきたこの足跡も、巨人族実在の紛れもない証拠の一つだろう。
 我々はこれを『大空のプリンセス』の足跡、と呼んでいる。この形を見たまえ。このほっそりとした形は女性の足形だ。その上、この足の持ち主は普段、靴を履いていたに違いない。なぜなら、裸足で過ごしている人間の足跡はこの様に(スケッチブックを取り上げ足形を描く)、親指が開いた形になる。ところがこの巨人の足跡は親指が次の指と接近した形で残っている。裸足で過ごす人間の足跡ではない。大空のプリンセスは靴を常用する者であり、この時は偶々裸足になっていたのだ。
 それに、足跡をよく見ると、足跡の主は走っていたらしいことが伺える。かかとよりもつま先が深く食い込んで、柔らかい地面を蹴った時、指の間にはみ出して来た泥が顕著に残っているではないか。
 世界を造った"Motherof creation創造の母"の娘たるプリンセスが、いったい何を追い、あるいは、何から逃げる必要があって走っていたのだろう? 靴まで脱いで? 残念ながら、これに関する伝承は何も残っていない。――

 「ケープタウンのテーブル・マウンテンは、巨人が姿を変えたものだと言い伝えられている。
 大地を水(海)から分ける作業を創造の母が行っていたとき、海の魔物たちがこれを嫌ってことごとく邪魔をした。創造の母は巨人を造りだし、これら魔物と戦わせたのだ。東、西、北と、巨人の助けのお陰で無事に大地を水から分けられたが、南の魔物が数も多く強力で、さすがの巨人も苦戦を強いられた。この南の巨人には犬を持たせ共に戦わせ、そのお陰もあって徐々に陸を海から分けることができた。が、強力な魔物たちとの戦いに激しく消耗した巨人が愛犬共々、自分たちの死期が近いことを悟った時だ。魔物をまだ完全に打ち負かしていない巨人は、創造の母に、自分と愛犬を共々大岩に変え陸の南端に横たわらせて欲しい、と願い出た。大岩となって不死の身を獲得したなら未来永劫、陸の南端を守ることができるから、と。
 ――こういうわけで、テーブル・マウンテンは海の間際に、愛犬の小岩共々、横たわっているのだ。」 ……

 語り部クレド師の語りは続く。
 が、平屋の居宅前に紺色のベンツが入って来て木陰に停まり、降りた運転手の開けた後部ドアから高価そうなスーツを着込んだ中年の黒人紳士が降りてくる。別室にいたクレド師の娘さんが庭へ出て行き、こちらの窓を示しながら何やら紳士に説明している。時計を見ると、約束した2時間の予定時刻を少しばかり過ぎていた。
 その様子を窓越しに見たクレド師は、スケッチブックを再び取り上げ新しいページを開くと描き始めた。
 「次の来客が来たようだ。約束なので仕方がない」言いながら手も動かしている。「大空のプリンセスは伝承によれば、こんな姿をしていた筈だ。今日の記念に、遠い日本から来たお客人にお持ち帰りいただこう」
 本当はそんなに遠くはないケニアから来た、と改めて言えはしない。初対面の挨拶でも会話の中でも、僕がケニアからやって来たことはお伝えしてある。それでも少し居心地の悪い気持ちになって、描くクレド師を黙ってビデオに収めている。
 「ウム、よかろう」紙面を点検してクレド師はうなずき、筆を置いた手でページを綴りから剥がし取る。
 「これが、巨人の足跡:Giant Footprintの持ち主『大空のプリンセス』だ」
PrincessOfTheSky
 クレド師宅を辞去した足でヨハネスブルグ国際空港へ行き、国際宅急便の空港事務所で収録テープを日本の依頼主宛発送する手続きを済ませる。空港へ行き、予約時には満席だったその日夜のナイロビ行き便に空席を尋ねる。が、相変わらずの満席で、予約通りの翌朝便で帰ることになる。空港近くのビジネス・ホテルまでスチュアートさんに送って貰い、彼は空港へとって返してレンタカーを返却し、自宅のあるケープタウン行きの午後便に乗る。
 たった2泊3日の旅だったのに、もっと長い日々を共に過ごしたような気持ちを抱きながら、スチュアートさんと別れの握手を交わす。
 "東アフリカが小雨季で仕事が暇な10月には、ケープタウンにクジラ見学に伺います。その時は、ベランダからクジラが見える宿の手配をお願いします"と、旅の間に交わした会話のおさらいをする。
 「その頃には」と、スチュアートさんは品のある笑顔を見せて握った右手に左手を添え、「私の禅の庭も随分形が整っていることでしょう。楽しみにしていて下さい。」

 ホテルの部屋にこもり、作っておいたコピーテープから収録内容を書き出す作業に取りかかる。放映が迫っている番組なのでなるべく早くディレクターに収録内容を知らせておかなければならない。テープを入手する前に編集方針を立てておかなければ、本番収録に間に合わなくなる。
 2日間の取材内容をリプレイしながら、スチュアートさんとクレド師のことを改めて考える。
 不思議な人々だった。
 非現実的な存在という意味ではなく、不思議な温かみを常に身にまとっているような、そんな印象がビデオ再生機付属の小さな画面からも伝わってくる。彼らは何ごとか価値あるものを一心に追い求めており、その姿勢はひたむきだけれど自然体で、且つ、それらを多分あらかた手に入れているのだ。
 解脱、あるいは、涅槃楽。
 ――的確な表現が見つからないけれど、宗教的な要素を抜きにしたところで、深い悟りを我がものとしているようなのだ。

 また、撮影対象の巨人の足跡についても考える。
 身長10m内外、4階建てビルくらいの身長を持った人。人間並みと考えて換算すれば、体重は800Kgくらいになるだろうか。
 もし仮に実在していたとしたら、どんな経緯でこの地球上にいたのだろう。
 進化論のどこにもそういう生物が紛れ込める余地はなさそうだから、異星人。――そう考えることはできるかも知れない。
 地球外生物がいる可能性は高い。一千億もの星を抱える銀河が同じくらいの数あるというのだ。その無辺の空間に呼吸しているものが地球上の我々だけだと考えたら、むしろその方が不自然であり、孤独感は余りに深い。
 だいいち、足跡がついている花崗岩はとても古い鉱物のはずだ。地中深くの溶岩が固まってできるのがこの岩石らしい。
 現在花崗岩としてあるものが<足跡がつくほど柔軟だった>時代はいつ頃か、と、クレド師が鉱物の専門家に尋ねたことがあると言っていた。答えは、少なくとも9億年前、というものだったと言う。

 僕らの知る地球の歴史上、9億年前はどんな時代だっただろうか。
 百科事典をひもとくと、【おそくとも約10億年前までには酸素呼吸生物の生存が可能な程度に大気中の酸素は増えていたと思われる】とある。
 巨人が人型であるなら、地上で普通に呼吸ができる環境は不可欠だ。なんといっても、彼女(?)は裸足だったのだから。
 他の生物はと言えば、今コガタフラミンゴのエサになっているラン藻類が主なもので、クラゲの類は既に発生していたのだろうか。しかし、背骨のある脊椎動物発生までには少なくともまだ4億年は待たなければならない。
 そんな時に、後に花崗岩となる柔らかな地面を駆け抜けた、身長10mの人型をした生き物。
 やっぱり、これは、異星からの訪問者、と考える以外なさそうだ。
 もっとも、南アフリカのその花崗岩の年代測定を行った人はいないから、この9億年前はあくまでも一般論としてであって、足跡がある岩の古さは分からない。
 
 ――と、まぁ、こんな推論をしてみたくなるくらいその足跡は、見れば見るほど、人の足跡に見えてしまう。


 怪しげなネタを追って始まった割には心に響く大きな実りを得た「巨人伝説」取材の顛末。

 今度はどんな依頼をいただけるのだろう。

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アフリカ徒然草
 目 次

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筆者口上

@余命6ヶ月と宣告されてケニアにやって来た老ドイツ人に出会った


Aママ・ンギナ・ストリートのコーヒーハウス−

Bエチオピア<ボディ族>訪問記 「古代に生きる人々」

C<ンゴマについて>異聞

D<マハレとタンガニーカ湖 Since 1985> (未完)


E ジュアールティー 〜遠いアフリカ〜

F巨人伝説 〜南アフリカ〜 (表示中)

G地球史カレンダー

H アフリカに育つ息子たちへ

I 稼いでは遊び、遊んでは稼ぎ

J 水深5メートルの退職金

K ケニアで最初にルビーを掘り当てたのは日本人

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