サファリの手帖 <アフリカ徒然草> Top Pageへ戻る
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Hanz
「ムワザロ・ビーチ」 キャンプサイト&コテージ
<ハンス>
ケニアのサウスコーストでマングローブ林の再生事業を行っている。 この人がケニアにやって来た理由もここまでの経緯も、驚くべき事柄の連続だ。
高齢化社会がいやでも進行する日本。「第二の人生」論も盛んだけれど、こんな風に生きる人もいる。

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 <余命、6ヶ月>  ――医師からそう宣告されたらどうするだろう。
 自分のことは分からないけれど、その宣告を受けてケニアへやって来たと言う老ドイツ人に出会った。海をわたる風が気持ちよく吹き込む海辺のダイニングテーブル。傍らの寝椅子には白い大きな野生犬<ディンゴ>が寝そべっていた。

 「何度目かの心臓発作でね」ハンスは言う。「次の発作がきたらアウトだって言うのさ。 で、その<次の発作>って言うのまでどれくらい時間があるか分かるか?と訊くと、1年以内――多くの場合は6ヶ月だって言うんだ」

 リゾートホテルとしては場所もはずれており、輝く白砂のビーチもない。おまけに、そこは地元ディゴ族代々の聖地で裸火厳禁、発電機を設置してもいけない、と言う。だから、ダイニングには加圧式灯油ランプが吊るされ、客室にはハリケーンランプが日没時に配られる。観光客向けの宿泊施設を建てるには決してふさわしい土地柄ではない。
 だからという訳でもないけれど、宿泊代金も三食付で日本円にして3千円ほど。
 なのに、ダイニングに並ぶ家具・調度はローカルメイドだけれどセンス良く仕上がっており、マングローブ材をふんだんに使った屋根の高い建物も全体の雰囲気も、その低料金に見合わない心地良さにあふれている。
 
 僕は道端の看板にあった「キャンプサイト&コテージ」という一言に引かれて様子を見に立ち寄っただけだったのだ。
 けれど、ヤシの木陰の駐車スペースにクルマを止め案内人に導かれて20メートルと歩かぬ内に、左右に広がるマングローブ林に囲まれたそのロッジのちぐはぐな魅力を感じ始めていた。簡素な造りの客室前を通り抜けてダイニングに着いた時には、<一体、どんな奴がこんなものをこんな所に建てたのだろう?>という疑問符が、頭の中でいっぱいになっていた。
 案内人の呼びかけに応えて、奥の本棚横のソファーセットで従業員らしき人々と打ち合わせをしていた裸足の老人が立ち上がって来た。それが疑問の張本人「ハンス」だった。
 道端のサインボードに引かれて様子を見に立ち寄ったことを伝え、宿泊・キャンプ料金、水事情などの基本的な事柄を尋ねる。ハンスはそれらに答えながら、ディゴ族の聖地である事実やロッジ横でインド洋に流れ込むラミシ川でのマングローブ植林事業のことなど、要領よく話して聞かせてくれるのだった。
 引き潮のタイドプールを見晴らすテーブルには海風が心地よく吹き抜けており、手作りクッキーとうまいコーヒー、整然とまっすぐに話し聞かせてくれるハンスの口調にこちらの気分が解き放たれてしまったのだろう。「何故こんな場所に突然ロッジを建てたのか?」と、初対面の異国人に尋ねるには不適切な事柄を質問していた。
 その答えが冒頭の、医師からの宣告につながる。

 余命6ヶ月の宣告を受けたハンスは勤めを辞め、終の棲家を求める旅に出ることにする。3人の子供はいずれも成人して家庭を持ち、奥方は既に他界していた。財産を処分し、仕事で幾度も来たことのある東アフリカ――ケニアかタンザニアの海岸部に家を見つけ、そこで人生最後の時を過ごそう、と考えたのだと言う。
 そしてディゴ族の聖地にたどり着き、裸火も発電機も使わない約束で土地を借りた。
 元来が多芸多才で精力的なドイツ人だったのだろう。単なる隠居暮らしを潔しとせず、聖地を流れて海に注ぐラミシ川の、乱伐で危機に瀕するマングローブ林の再生事業を自分なりに行うことに決める。その事業が自分の死後も地元民によって続けられる様にと、収益事業としてレストランを始める。会社員ではあったけれども料理については玄人はだしで、本国では世界のトロピカル料理に関する本を出版していた。分厚いその料理本に使われている写真も、ほとんどハンス自ら撮影したものだ。
 レストランを建て、地元住民の内から筋の良い人物を雇って料理を教え込む。
 同時に、マングローブの植林作業も住民を巻き込んでノウハウを分かち合う。地球上のあちこちで行われているマングローブ林再生事業のノウハウを移入している時間も経費もなかったから、ハンスは自分の考えに従って事業を展開する。それに、実際のところ、マングローブの再生事業は難しく、うまく行っている事業は数少ないので、移入できるようなノウハウも余りない。
 レストランだけでは充分な収益が上げられないし、現金収入の少ない地元民に雇用の機会を増やすことも兼ね、宿泊施設を新たに併設する。客室が簡素なのは「聖地」であるからだ。高い宿泊料金を取れるような施設なら電気は不可欠――けれど、それは許されない。プールもなければトイレ・シャワーも共同の宿泊施設。その分、高い料金はとらない。
 "Isn't that fair?"と、ハンスは言う。
 理路整然と実際的で、いかにもドイツ人だ。そして、どこもかしこもドイツ人にふさわしく小奇麗で清潔に保たれている。

 「しかし、ハンス」当然の疑問が口をついて出る。「そうやってここに住み着いたのは一体いつのことですか?」
 「1990年」
 「じゃあ、余命半年と言われてから……」
 「そう、11年」
 「医者の言ったことは?!」
 「別に医者を責めることなんかありゃしないさ。こんな環境で退屈することなく生きていられるんだから、何も文句はありゃせんよ」

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Exterior





Sink





Dining

BoatTrip



Mangroove



MangSeed



Heron



NarrowRiver

 翌日、ハンスの案内でマングローブを植林した川沿いをクルージングする。クルージングと言っても定員12人のディンキーだ。満ち潮に乗って河口を溯る。
 「川沿い上流部の6Kuを新たに保護区として管理する許可をもらったから、今日はそっちまで見てもらう。枝払いができてないから観光客はまだ入れられないけど、まぁ、君たちみたいなアフリカン・ジャパニーズなら平気だろう」
 ナイロビで生まれた1才5ヶ月になる息子を同道していたけれど、僕にも家人にも否やはない。未開のマングローブ林に向かってボートは進む。
 水位の上がった河口は幅数十メートルもある。その左右が、すでにハンスたちのプロジェクトサイトだった。しばらく行くと両岸がぐっと近づき、ラミシ川に乗り入れたことを知る。
 「あいにくの満ち潮で見えないけど、この辺りはワニだらけだ。 万が一落ちたら、ジタバタせずにボートへ向かって静かに泳げ」大変に実際的なアドバイスを水上でいただく。必要なことは時・所を選ばず言っておく必要がある――やっぱり、ドイツ人は面白い。

 「あそこの一番手前にあるグループが」と、左岸を指す。「去年植えたものだ。その後ろにあるのが植林後7年を経過したものたち。どちらもうまく根付いてくれている」
 高さの異なるマングローブが前後して整然と並んでいる。プロジェクトが年月を隔てて継続していることと、うまく行っていることが一目瞭然だ。
 「おっと、ワニだ」
 ボートをマングローブのある浅瀬に近づける。水面から水平に見えているマングローブの呼吸根の根方に、テラテラした妖しいものがいる。水面から目だけを出してこちらを窺っているワニだった。内陸部で見るナイルワニに比べてずいぶん小柄だ。しかし、だからと言って危険性が劣るわけでは全然ない。ボートから落ちたりするようなことは避けたいものだと、改めて思う。

 マングローブ林は野鳥の宝庫でもある。
 キングフィッシャー(カワセミ)が水中の小魚を狙って張り出した小枝から水面を見つめ、ハタオリドリが繊細な巣を織り上げている。頭上遥かでは、小型の猛禽が捕らえた獲物を横取りしようと2羽のウミワシが追い回していた。
 ワニや野鳥を眺めながら川を溯る。そうしながら、ハンスの解説を聞いている。
 
 このプロジェクトサイトでは合計9種類のマングローブを植えている。ある種は苗床で育ててから植林するが、ある種類はタネを直接汽水域の泥に刺して回る。タネ自体がそのようにデザインされているので下手に手出しをするよりは適地を選んで植え込めばよいはずだと、ハンスはそう考えたのだと言う。そして、それらの多くがしっかり根付き立派なマングローブ林として育ちつつある。

 背後からのハンスの声を聞きながら、若いマングローブの林を眺め回す。
 命の残りは半年だと言われ、死地に赴いたはずのドイツ人が成し遂げたことを目前にして、僕はしばし茫漠とした気持ちに捉われる。自分なんぞは無駄飯食いのゴイゴイ(スワヒリ語で怠け者)野郎に違いない、と、自責の念にかられたりもする。
 ハンスの心臓を最後の発作から遠ざけているものは何なのだろう?
 インド洋を吹きぬける季節風。
 電気もクルマも持たずに過ごすシンプルな日常。
 彼の存在を無二のものと尊ぶ、地元の人々の心。 
 まさか、ディゴ族の精霊たちが守ってくれているわけでもあるまいけれど。……

 アフリカを、やはり「終の棲家」と思い定め人生最後の事業を精力的に展開した日本人のことを思った。新聞社の論説委員を定年退職後、日本とアフリカの架け橋となる人材を育てるべくナイロビに私塾を開いた故星野芳樹氏――スワヒリ語の敬称をつけて、僕らは皆「ムゼー星野」と呼んでいた。病気のせいで叶わなかったが、彼も息を引き取るのはこの大陸で、と考えていた。そのムゼー星野の終の事業のお陰で、僕は、今ここにいる。
 アフリカ大陸。
 「死地」と思い定めてからそこで意味あることを成し遂げた2人の人物。
 一体、アフリカの何が彼らをそんなことに駆り立てたのか。或いは、たまたまアフリカ大陸であっただけなのか。……

 「ヘイ! オオヤマセミだぞ」
 ディンキーのエンジン音に驚いて藪から飛び出し、前方に逃げてゆく鳥を指してハンスが言う。小鳩位の大きさをした、珍しいヤマセミだ。少し飛んで、また藪の中に止まった気配だ。ディンキーのエンジンを低回転に押さえてヤマセミを驚かさないように静々近づく。が、オオヤマセミは僕らが辿り着く前にまたも飛び立ち、少し先の藪の中に入り込む。
 ハンスは僕たちにヤマセミの写真を撮らせようと、ゆるゆるディンキーを進めてくれる。が、近づくとまた飛び立ち、僕たちはまたゆるい流れの速度でアプローチをする。――が、また逃げる。

 僕は茫漠とした物思いからマングローブ林に立ち戻り、夕暮れまでのボート・トリップをただ楽しむことにしようと、気を取り直した。


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アフリカ徒然草
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筆者口上
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C<ンゴマについて>異聞
D<マハレとタンガニーカ湖 Since 1985> (未完)
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F巨人伝説 〜南アフリカ〜
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Hアフリカに育つ息子たちへ
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