アフリカに育つ息子たちへ
〜アフリカ・サファリという仕事〜
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まん丸のお月さまがひろい広い草原の向こうに沈むころ、お父さんたちはもうシマウマやヌーに囲まれてその草原にクルマをとめています。カメラマンは地面に台をすえて、月と反対側の、オレンジ色や金色に輝く空にレンズを向けます。小鳥たちもちかくのブッシュでさえずり始めました。鳴きかわすヌーやシマウマの黒いかげの向こうで、空はどんどんその色を変えていきます。あたりはどんどんどんどん明るくなって、もうすぐ太陽が顔をだすでしょう。そしてまた暑い一日が始まるとお父さんたちは動物たちを追って日暮れまで、草原や林や水のほとりですごします。このサファリは、動物番組の撮影という仕事だからです。
明るくなってまわりが見えるようになってくると、お父さんやドライバー、番組のディレクターはみんなで双眼鏡を目にあてて草原を見まわします。どこかでなにか事件が起きていないかと、さがすのです。 どこへ向けても、双眼鏡の中はヌーとシマウマでいっぱいです。ヌーたちは頭をさげ、朝つゆのたくさんついた短い草を食べています。かみついた歯で草を食いちぎる音も、ブチッブチッブチッ、と聞こえてきます。ヌーの首に下がる白いヒゲや草についた水滴がイチゴ色に光るので、太陽が顔をだしたのだな、とわかります。――
静かに草を食べる群のずっと奥に、疾走するヌーの一団が見えました。
カメラマンが朝日を撮り終えるのを待ってクルマに乗り込み、走る一団の方へ移動します。カメラがすぐ使えるように天井をあけっぱなしにして走りますが、冷たい風が吹き込んで、ジャケットのチャックを首まで上げたりマフラー代わりのバンダナで鼻をおおったり、朝の草原はずいぶんと寒いです。
全力で走るヌーの群を2頭のメスライオンが追いかけていました。
君たちが生まれるずっと前からいっしょに仕事をしているドライバーのトムが、ヌーとライオンが走る向きと太陽の場所を考えてクルマをとめます。カメラマンは急いで台にカメラを乗せて、おなかをすかせ全力で走るライオンにカメラを向けます。お父さんたちは身動きしないようにじっとシートにすわっています。シートの上でからだを動かすと、遠くを撮影しているカメラがゆれて、画が使えなくなってしまうからです。
座席でじっとしながら、それでも、走るライオン以外に何かいないかとまわりを見まわします。ヌーやシマウマがたくさん集まる草原では、かんがえてもみなかったことがたくさん起こり、カメラをのぞいているカメラマンにはまわりを見ることができないからです。
ヌーが走って行く方にある小さな草むらに、なにかが動くのが見えました。
双眼鏡を使ってよく見ると、長い草の上にライオンのふたつの耳が見えています。ヌーが走ってくる方向で待ちぶせする、もう1頭のメスライオンでした。
待ちぶせするライオンのいる場所をカメラマンにおしえます。カメラの向きが待ちぶせライオンに変わるのを見とどけたら、追いかけているライオンに注意を向けます。撮影しているカメラマン以外のみんなは、カメラマンの見えないところに目を向けているのが草原での仕事でしょうか。
ヌーがじゅうぶんに近づいたところで、草むらのライオンが飛び出しました。
とつぜんあらわれた前方のライオンにおどろいたヌーは、走る方向を変えようと急カーブをきります。けれど、待ちぶせしていたライオンは飛び出したときから狙いをさだめていたかのように、1頭のヌーに向かってまっすぐ走って行きます。走っていって、並んだヌーに飛びつきました。前あしを首にからめてヌーの背中に乗りかかり、自分の重さでヌーといっしょにたおれ込みます。土けむりがあがってヌーもライオンも見えなくなる短い時間をつかって、ヌーの鼻と口を自分の口でふさぐメスライオンのすぐ近くまで一直線に移動します。たおされたヌーをめぐって起こるできごとを、すぐ近くで撮影するためです。
はじめに見た、走っていた2頭のメスライオンが息を切らしてやって来ます。
双眼鏡で遠くを見ていたトムが「オスが来た」と言って指さします。見ると、りっぱな黒いたてがみをふりたてて、オスライオンが早足で向かってきます。少し後ろに別のメスライオンが続いていて、よく見ると小さなかげがいっしょにいます。4頭の子どもライオンでした。お母さんライオンのあとをじゃれ合いながら、一生懸命ついて来ます。
メスがたおしたヌーを一番はじめに食べるのは、立派なたてがみのお父さんライオンです。
息絶えたヌーのおなかを開こうとなめたりかじったりしているお父さんライオンから少しはなれて、メスライオンたちはお父さんをながめています。けれど、子どもライオンはたおれたヌーのあちこちにかじりついたり前足で引っかいてみたりしています。
『わぁ、ごはんだ、ごはんだ』と、はしゃいでいるのでしょう。
ようやくヌーのおなかを開いたお父さんが子どもライオンに場所をあけてやると、1頭の子ライオンが開いたおなかの中にもぐり込んで行きます。やわらかくて栄養のある内蔵は、子どもに先に食べさせてあげるのです。
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ケニアに来てから22年がすぎようとしているお父さんは、スワヒリ語学院での勉強を終えて以来、アフリカのあちこちでずっとこんな仕事をしてきました。動物番組ばかりでなく、アフリカに住むいろいろな人々の生活やできごとを、日本の人たちに知らせる仕事です。
できごとが起こる場所にいつも出かけるので、仕事はそのままサファリ(旅)でした。
その22年の始めと今とをくらべると、野生動物がずいぶん少なくなってきている、と感じます。国立公園や保護区の中はまだめだちませんが、ハイウェイをクルマで走りながら見かける動物はほんとうに少なくなりました。
いつかナイバシャへ日食を見に行きましたね。
あの時、キャンプ場から歩いていった湖にはカバがいました。けれど、それ以外に大きな野生動物は見ませんでした。
お父さんがケニアに来たばかりのころは、ナイバシャ湖へ向かうハイウェイ沿いにインパラやガゼールがたくさん群れていたものです。広い距離を移動するシマウマは今でも見かけることがありますが、それ以外には人の食べ残しをあさるバブーンがいるくらいで、大きな動物はほんとうに見られなくなってしまいました。
お父さんは、ナイロビ病院で生まれた君たちとちがい、東京で生まれました。君たちが去年初めて行った、おじいちゃんやおばあちゃんのいる、あそこが東京です。
お父さんが生まれ育ったのは世田谷区という場所でしたが、家の前にはジャガイモやトマトのなる畑が広がり、その向こうにはドジョウがすむ二本の小川にはさまれて田んぼがつらなっていました。ときどき、シラサギという真っ白な大きい鳥が飛んできてドジョウやカエル、ザリガニをつつくのを庭先からながめていたものです。
けれど、畑や田んぼがつぶされて人のすむ家が建ちはじめ、高速道路が通ることになってその家から引っ越しました。それからケニアに来るまで、野生のサギを見たことはなかったでしょう。
2歳になろうとしている君にはもちろん、♪Ten
little Indian boys and girls♪とキンダーガーデンで教わるかぞえ歌がようやく唄えるかどうかというお兄ちゃんの君にも、これはぜんぜん分からないことでしょうけれど、お父さんが生まれたころ、この地球には30億人も人はすんでいませんでした。けれど、君たちが生まれた2000年/2002年にはその2倍以上、60億を超す人が暮らすようになっています。
お父さんお母さんと君たちの4人で暮らす今の家に、もう一人づつの君たちやお母さんたちがすむようになった、と考えてみてください。
君たちは眠ろうとしているお母さんのベッドに入り込み、二人がかりでお母さんにのしかかっては「こんでる、混んでる!」と言ってはしゃぎ遊びますが、もう一人づつ増えたら、ベッドだけでなく、家中がずいぶん<混んだ家>になってしまいます。
いっしょに暮らす人が増えると家が混みあうだけでなく、使う水の量も増えます。
今でさえ君たちの家はときどき水が出なくなって、大きなタンクローリーで水を運んできてもらっています。もう一人づつの君たちやお母さんたちがすんでいたらどんなことになるでしょう。水ばかりでなく食べものもたくさん必要になるし、捨てるゴミも増えるでしょう。
なかなか大変です。
でも、地球は今そんなふうになっていて、君たちが大きくなって行くのといっしょに地球はもっともっと混みあってきます。
お父さんが見てきたあいだだけでもアフリカの野生動物が少なくなったのは、地球が混んできたからなのです。
アフリカのことを日本に知らせる仕事をしながら、お父さんは、これ以上動物たちが少なくならないですむ方法はないだろうか、と、いつも考えます。どんどん増える人間も不便を感じることなく、野生動物も自然環境も、みんなが気持ちよくいられるようにするにはどうしたらよいのだろう、と考えます。
君たちが大きくなったとき、お父さんが見ているのと同じ、自然の中で狩りをして生きるライオンたち。朝つゆを光らせる草原の、数えきれないヌーやシマウマ。そういうものを変わらず見られるようにするにはどうしたらよいのだろうか、と、考えます。
かんたんな答えはありません。
世界中でたくさんの人が同じことを考え、いろいろなことをためしていますが、答えはでていません。でも、たくさんの人が同じことを考え、いろいろな答えが出てくるうちに、きっとよい方法が見つかるはずだ、と、そう考えることにしています。
でも、それがいつになるかはわかりません。
君たちがおとなになっても、まだ、答えは見つかっていないかもしれません。
ケニアに生まれアフリカに育つ君たちは「まだ混んでいない地球」のその場所を見ながら、その人々や自然、野生生物とともに大きくなって行きます。
できるだけたくさんのことを君たちに見てもらいたい、とお父さんは考えています。
自然のままの野生ゾウの大群。ソーダ湖に密集するフラミンゴ。マサイマラ/セレンゲティーのヌーとシマウマ、それに群がる肉食動物。――これらをくり返し見るうちに、彼らは、君たちも地球の上で呼吸する生きもののひとつである、とおしえてくれるでしょう。
200万年前に息絶えた2頭のゾウが化石となって横たわるシビロイやオルドバイ峡谷は、君たちが君たちのすがたとなって今ここにいることに必要だった、ながい長い時間を実感させてくれるでしょう。
かわいた土地がけわしく大きなデコボコをくりかえす大地溝帯は、地球というこの星が水と緑につつまれる前どんなすがたをしていたか、想像するのをてつだってくれるでしょう。
畑をたがやす人、魚をとる人、牛をたいせつにする人、それぞれの暮らしをよく見せてもらえば、食べものは地球があたえてくれるのだ、とわからせてくれるでしょう。
アフリカは、君たちにたくさんの「きほんてき」なことをおしえてくれます。
君たちは、おしえられたそれらを持って広い世界へ向かいなさい。
この世界のどこでなにをしていても、二本足で歩く人間が誕生したこのアフリカを思い起こせば、地球上のあらゆることはそれら「きほん」の変化形に過ぎない、と気づくでしょう。
恐れることはなにもなく、けれど、畏れるべきはれっきとしてある、と、容易に知るでしょう。
――そんなの、ぼく、わかんないよぉ!
そう言う君たちの声が聞こえてきます。でも、そのうち、わかるときが来ます。
それまで、この大陸の青い空、澄んだ空気、緑の大草原、青い海、野生の力、人々の生きる力。そういうものを、思うぞんぶん楽しみなさい。
さて、お父さんはまたサファリに出ます。
留守をよろしく。 バイバイ。
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