サファリの手帖   <ンゴマに付いて>

ンゴマについて
続編<6〜13>

続編<6>センゲェニャ 海岸部他部族のンゴマについて  (2002/06/21)

続編<7> タナリバー周辺がホームグラウンドの「ポコモ」という人達がいる。(2002/07/09)

続編<8> ラム島周辺スワヒリの人たちも面白い。(2002/07/09)

続編<9> アフリカの民族楽器は「楽器」なんてものを越えた存在。(2002/07/09

<続編10> カンバのンゴマの名前は「ムカンダ」
 (2002/07/12)

<続編11> ケニア山周辺 キクユ族とメルー族のンゴマ (2002/07/12)


<続編12>このまま一気にルオーのンゴマに行っちゃおう!(2002/07/15)

<続編13>ンゴマとの正しい出合い方&キシー族のオボカノ (2002/07/15)



<続編6>

ケニア海岸部 ギリアマ族以外の部族にも面白いンゴマがいろいろある。

(2002/06/21)

・ディゴ ・ドゥルマ ・ラバイ  (※それぞれ、ケニア海岸部の部族名)
<センゲェニャ編>

いまさら言うまでもなく、僕にとってンゴマの世界への始まりはマーシャからだった。彼が居なければ僕は今も盲目のまま(コロワのまま)只うろうろと自分の居場所を探していただろうと思う。

マーシャに出会い、彼が僕の目の前にあった扉を開けてくれたおかげで、立ち入ることを許された世界。その世界をもっと色々な人達に広く知ってもらいたく思い、こうして書き始めたわけだが。
何度も言うけれども、ンゴマは生き物で、又、生活と共にあるものだから、是非実際に触れ、その中に入り、感じ取ってもらいたいし、その中から一人でも多くの優秀な人材が生まれ、今の中途半端な現状が少しでも良くなることを強く願っている。

僕のベースとなるンゴマはギリアマのそれで、ゴンダ、マブンブンブ、そしてンゴマ・ヤ・ペポ等になるのだが、ケニアにはその他にもたくさんの種類のンゴマがある。
「一事が万事」という言葉があるように、ギリアマのンゴマから始まって、縁が縁を呼び、他にもたくさんのンゴマのスペシャリスト達に出会うことも出来た。その中で、僕はあと2つだけ選び、学ばせてもらっている。1つはルイヤ族のンゴマと、もう1つはお隣ウガンダのガンダ族のンゴマだ。
選んだ理由はただ単純に自分の好みだけで、出来ることならもっとたくさんやってみたいが、僕の器量の悪さから、この2つだけにとどまっている。

しかし、他にもたーくさんの種類のンゴマがあるわけで、又それら全てが素晴らしく、甲乙などつけられるわけがなく、こうなると、単純に好みと相性とムング(※神様)だけが知っている出会いによるわけだ。
弦楽器の人もいれば、打楽器の人もいるし、踊りから入る人もいる。その時には、皆それぞれに違うそのバラエティーを大切にしてもらいたい。したがって、ここに記す人物の名前は特別な例を除き実名で書いている。そしてギリアマ以外にも出会って触れることので来たンゴマについても可能なだけ実名を使い、知っている限り詳しく紹介したいと思う。
そして、それらが一人でも多くの人がリアルなンゴマの世界を知る為のきっかけや情報として、少しでも役立てばすごく嬉しいな。

今日はギリアマ以外のミジケンダの人達のンゴマを少し紹介したい。
まず、ディゴ、ラバイ、ドゥルマの人達のンゴマ。彼等は同じミジケンダでもマリンディからは離れ、モンバサの近くに住んでいる。特に、ディゴの人達は、モンバサよりも下(※南)、タンザニアの近くがホームグラウンドだ。大体、モンバサ?マリンディ間にある、キリフィという所を境にして、彼等はそれよりモンバサ寄りに住んでいる。

当然、ンゴマの種類も全然違うんだなぁ、これが!! 誤解を恐れずにいえば、通常彼等のンゴマは「センゲェニャ」と呼ばれ、おなじみのチャプオ2つと、デベ(又はウパツ?!)の織りなすリズムの上で、ソロイストが1人で4つの太鼓を変化自在、縦横無尽に操る、といった感じのンゴマで、いやー、いいよ。これはこれで、すごくいいです。

ギリアマのゴンダ、マブンブンブのような「怒とうのキメキメのユニゾンで叩き倒すぞ!!」と言ったような太鼓と違って、このンゴマは複雑に絡み合ったリズムの上で何ともメロディアスに4つの太鼓がそのリズムの網の目をぬっていくような、不思議な感じで、又、1曲1曲ちゃんと長く聞いてられるし(ゴンダは短かきゃ1曲30秒で終わる)、複雑でも一応一定のリズムの上で、日本人でも分かりやすいと思う。
只、そのノリが独特なのさ。もうそれこそ皆のイメージする「アフリカ」と言った感じ。厳密にはセンゲェニャはラバイ、特にディゴのンゴマで、ドゥルマは違うらしい。だが、要の4つの太鼓の形態は皆ほとんど一緒だ。前に話したズマリ(チャルメラみたいなやつ)もディゴのものらしい。でも、ラム島のスワヒリの人達も綺麗に装飾された物を持っているらしい。まっ、元々はアラブの方からイスラム教と一緒に入ってきたんだな、多分。

この辺の詳しい違い等は、又分かり次第お知らせします。いやー、すみません。僕自信はすごい興味があって、大好きなンゴマなんですけど、ホント、かじったくらいしか練習しなかったし……テキトーなことを言いたくないし……申し訳ない。
僕の印象では、ラテンのコンガとかやってる人達が勉強したら面白いと思う。アプローチの仕方とか、とにかく独特で、かつ割と親しみ易いから、ちょっとアレンジを変えれば他の種の音楽(ジャス屋とかラテン屋とか)ともすんなり溶け込めるんじゃないかな?少なくともゴンダよりは。

初めてそのンゴマを観たのは、僕の家の庭でマーシャとガラマがリハーサル(ゴンダ、マブンブンブ)をしている時だった。昼食後の一服をしていると、ふいにマーシャがそれまで使っていた太鼓を横に倒し、一つ一つ音色を確かめながら、足元に4つ並べ始めた。するとガラマがチャプオを叩きながら唄い始め、マーシャがその歌に絡むように実にメロディアスな太鼓を叩き、またその太鼓のメロディにあわせ歌が変化していく・・・。いやー、びっくりした。マーシャなんか手が4本生えているんじゃないか?と思う程、縦横無尽に次々と不思議なリズム、メロディ?をたたき出すし、それに合わせて歌うガラマの気持ち良さそうなこと!!

その後、興奮して説明を求める僕に、「センゲェニャだよ。ディゴのンゴマだ」と一言言ったきり、あーこー言う間にもう片方のチャプオを持たされ、パターンを一つ教えられ、それに慣れるとガラマがカウンターのリズムを叩き、その上にマーシャが再び絵を描くような、まるで太鼓同士が集まっておしゃべりをしているような太鼓を叩き(まったくセンゲェニャ(※スワヒリ語。陰口を叩く、ほどの意)とは良く言ったものだ)、しばらくすると手を止め「はい、これがドゥルマのンゴマね」「はい、これがディゴね」・・・と、ぽんぽんぽんぽん紹介され、最後に「な?わかっただろ?」って、わかるかそんなもん!! 
まあ、僕はギリアマだけで手一杯だったし、マーシャもその時に教える気は全然無かったしな。結局、この時はチャプオで作る土台のリズムがそれぞれに違う、と言うことがわかっただけだった。

次に観たのは、又マリンディにンゴマの修行に行っている時だった。道端ですれ違ったおじさんとマーシャが「やあ、久しぶり、元気だった?」と言った感じで話している。そのおじさんの周りには若い男女が何人かいて、こっちを観ている。僕が「ギリアマのンゴマをマーシャに教わっている俵です」と自己紹介すると「あ、そう。じゃあ今度私の所にも遊びに来なさい」と言って、その場は別れた。後で聞くと、そのおじさんはムゼー・ムワテラといって、先のンゴマの有名な人なんだそうだ。特に、ムゼームワテラの父親は、ムゼー・C・Sみたいにそのンゴマでは大変有名な人で、言わばその両雄の後継者同士の久しぶりの再会だったわけだ。ムゼームワテラの父親はモンバサの方に住んでいるらしいが、自身はマリンディからマタトゥでワタムまで行く途中に住んでいて、そこには何とムゼーC・Sの子供達も太鼓や踊りを習いに、又は手伝いに行っていて、その中にはマーシャの実弟のニャヨ君もいるのだった。

数日後、ゴンダの練習が一段落して、ムゼームワテラの所へ見学に行くことになった。
夕方に行ったので、彼等も練習が終わったらしく、もう片付けを始めていて、ムゼーも出掛けてしまっていた。仕方なく又明日出直そうと思っていると、マーシャがニャヨ君に何か言って、マーシャとニャヨ君がある少年と話しをしている。その少年の名はアリ君で、まつげの長い酒もタバコもやらない美少年のムスリム15歳なのだった。
しかも彼はムゼーの弟で、ムゼーが居ない時の現場の責任者なのだ。そんな彼は疲れているだろうに、嫌な顔一つせず、また太鼓を組み直し、1時間程レッスンをしてくれた(無料で!)
ここで問題となるのが、彼は確かドゥルマの人間なのだが、センゲェニャを叩いていたのだ。それは確かにナイロビでマーシャに教えてもらったセンゲェニャのチャプオのパターンと一緒で、ドゥルマのンゴマのパターンはでてこなかった。又、次の日ニャヨ君が「俺にも出来るぜ」と言って叩いてくれた、ラバイのセンゲェニャ(?)とも似ているようで少し違う。
まあ、この辺の所がスッキリしないのが皆様には申し訳ありませんが、当時ゴンダで頭がいっぱいの僕には全部まとめて「その他のンゴマ」だったのだから仕方ない。(尚、ナイロビで市販されているボーマス・オブ・ケニアのテープに入っているセンゲェニャは、ディゴとドゥルマが混ざっているみたいだ)

とにかくその時叩いてくれたのは、「センゲェニャ・ムセレゴ」「キゴンゴロ」「ンゴマ」「ゴーマ」らしい。その一つ一つを僕がマスターしたわけではないのではっきりとしたことが言えないけれど、4つか3つの曲が一まとまりで演奏されるみたいだ。
特に始めに叩くやつはチャプオのパターンが「カツ カツカココ カツカココ・・・」と5つなので良く覚えている。それに対して、「カツツ・カツツ・・・」の3つでとって2つで1つだったり、5つで1つだったり、とにかく、アプローチの仕方が絶妙で、「ほぉー」と思った。そして中盤の「タラタ・タラタ・・・」と3つの速いやつと終わりの「チキチキツ・チキチキツ」という、後ろに引っ張る感じのデベが印象的なやつをよく覚えている。
やっぱりねえ、5つを3つで割って、2つとか、4つとかで1つとしても、とても自然なのだ。1つ1つが唄、踊りの振り付けと合っていて、全体としてとっても自然に聞こえるのだ。
例えばミュージシャンの方々が、無理やり変拍子でこ難しい曲作りをしました。どう、凄いでしょ?的なものと違って、とってもグルーヴにあふれているのだ。
ま、これはンゴマなんだから、唄、踊りをともなうのも当然、気持ち良いのも当然、ミュージシャンの作る音楽と違って当然だとおもうけど。

そう言えば、この時もアリ君達が叩き歌い始めると、帰る支度をしていた子供達もだんだん集まってきて、結局皆でバリバリに盛上がっちまったもんな・・・。どうだい?これがンゴマだ!
皆、疲れている所ありがとうございました!

さて、楽器だけれど、まあチャプオ2つはいいとして、その4つの太鼓の内訳は、叩く人の左足元から高→低の順に並んでいる。まず、型は同じだが、チャプオより大きな両面太鼓の「ムチリマ」が2つ、その次に小型のブンブンブ、一番右端に低音のヴミ(これはチャプオみたいだけれど、片側しか皮が張っていない)。そしてね、これが面白いんだ、ムチリマは凄くサスティンが長くて「ト」から「トゥーン」まで出るし、ヴミはみかけよりもずっと重低音だし。それらを自在に操ってくり出されるリズムはとってもバラエティーに富んでいるのだよ。わかるかな?わからないかな?
同じミジケンダで、又同じ太鼓が語るという点でも一緒なのに、ここまでスタイルが違うなんて!?楽器自体に語らせ、単なる楽器以上の意味を持たせ、太鼓、唄、踊りと言った目的基本は全て一緒なのに・・・!?
いやー、面白いなあ、この圧倒的なバラエティーを前にして、僕はなんと言ったラ良いのだろう?
僕らはこの圧倒的なバラエティーの中に存在する1つの共同体みたいなものを感じてしまったのだろうな。でもそれはペポやンゴマと同じで、捜そうとしてもこの目で実際に見られるものじゃないんだろうな。捜すと言うのはまだ部外者なのだろう。そうでなくて、その共同体みたいなものを絶対的な是として、その中に住む一人の住人になった時、それは見える。「体験する」なんてチャチなもんじゃなしに、その人自身がそれ自身になるのだろう。うまく言えないが・・・。

マーシャは別として、他にナイロビでは、イディやイディの父親のムゼーアジス(通称カパパ)がこのンゴマを叩ける。
マーシャかイディにはナイロビのナショナル・シアターであえるし、カパパにはボーマス・オブ・ケニアで会える。ここではカパパ自身が叩いていて、時々演し物として、踊り付きで見ることも出来る。
以前、マーシャがコンガの3本セットを叩いた時の一風変わったアプローチ。
ナイロビにはルオーのンゴマ「オルトゥ」をアレンジして、点数を増し、ドラムセットのようにして叩く奴が大勢いる。しかし、元ネタが一緒なので、そのアプローチは大体似たりよったりの「ブルルル!!」と、タムのぶん回しみたいになるのだが、それとは違うイディの変てこなアプローチ。
今ならその秘密の何割かはわかる。もちろん、そこにこのセンゲェニャも含まれる。
彼等はあんまりにもネイティブなので一々気にもとめないし、分析したり説明したりもしないが、ネイティブでない僕らは、それを知らなければそのウタムを味わうことはほんのちょっとしか出来ないし、又それを知ってみれば次につながっていって、それと共にンゴマのウタムが続いていくのも事実なのだ。




<続編7>

タナリバー周辺がホームグラウンドの「ポコモ」という人達がいる。

(2002/07/09)

さて、ギリアマ、ディゴ、ラバイ、ドゥルマ以外のミジケンダの人達(チョニ・カウマ・カンベ・ジバナ・リベ)のンゴマはどうかな?というと、残念ながら僕はよくわからない。只カウマのンゴマは一度、ナショナル・シアターで太鼓を教えている「ブルーノ」が叩いてみせてくれたことがある。それはギリアマのマブンブンブに良く似ていた。また、彼(ブルーノ)は「コロワ」や「ブルーシ」などのペポもカウマにも存在すると言っていた。

元々彼等ミジケンダの人達は、皆その起源をシングワヤという同じ、又は一つの伝説の土地から発している為に、ある程度共通する部分はあるだろう。又、アフリカには本当に沢山の民族が住んでいる為、隣接するもの同士お互いに影響しあったり、主従関係があったりして、とても良く似た(あるいはほとんど同じ)部分を共有しあっていたり、逆にその中で独自に発達した部分を各自持っていたりして、本当に面白い。

だから当然「センゲニャを叩く人達にもンゴマ・ヤ・ペポがあるのか?」「ギリアマのコロワやブルーシ等共通するペポも存在するのか?」「もし存在するのなら、ギリアマのそれと、はたまたまったく違う型態のンゴマか?」といった疑問もでてくると思う。

センゲニャに代表される、ディゴ、ラバイ、ドゥルマのンゴマは、チャプオ2人、デベ1人が叩き出すリズムの上で、1人のソロイスト(?)が4つの音色の違う太鼓を自由自在に操り、唄、踊子の振り付けとシンクロさせ、全体を盛り上げていく、といった感じで、とても音色豊かで、唄の一つ一つもその尺度は比較的長い、又、ソロイストの即興的な要素が強く、上手な人が叩けばそれはそれはスッゴク盛上がるが、そうじゃない人が叩くと、単調なものになってしまう。この比較的自由な決まりの中でどう自分流にアレンジしていくか?唄い手、踊り手を盛り上げていくか?ここにこのンゴマのウタムがあるように思える。このンゴマは日本人の一般的イメージにある「アフリカの太鼓」として、割と受け入れられ易いだろうと思う。初心者はチャプオの簡単な方のパートから入り、最終的に4つの太鼓が叩けるようになるようにするのだが、チャプオだけでもそのウタムを感じることは出来、1回2回のワークショップでも充分楽しめるだろう。

逆に、ゴンダ・マブンブンブ等のギリアマのンゴマは、センゲニャと同じように、チャプオ・デベの上で叩かれるのだが、その唄の一つ一つは短く、下手すると15秒程で終わってしまう為、一応格好がつくまでには10曲以上は覚えなければならない。そのンゴマの要は、やはりブンブンブとムションドの掛け合いを交えた複雑なキメをもつユニゾンにあるだろう。これが、前に話したマシンダノの為か、相当トリッキーで日本人にはなかなか受け入れ難いものだから、普通の日本人が聞くと「なんだこりゃ?」と思うに違いない。又、唄の数もやたらと多く、数百はあると思われる。故に一般的なワークショップ(初心者向け)には向かないかも知れない。

音色も基本的にシンプルだが、とても個性的な音色を持つムションドがあるので、単調にはならず、このムションドと大勢(10?20人)ブンブンブとの太鼓の会話、そして熟練したムピカジは、この複雑なキメの間をぬって、どんどん奥歯にぎゅっと物を詰め込むように色々なことを仕掛けてくる。これが出来るようになると、すっごく面白いのだな。これがこのンゴマのウタムだ。
又、ンゴマ・ヤ・ペポは、ムションド・ブンブンブを叩くのは基本的に一人で、各ペポによって、違うチャプオとデベのパターンの上でセンゲニャ的に盛り上げると言ったもので、これは、初心者でも楽しめると思うが、僕はあまりお勧めしない。
スピリチュアルな唄はあまり安易に考えないほうが良いと思うよ。

さあ、それでさっきのいくつかの疑問の答えだが、これも残念ながら、僕にははっきりと答えられない。僕が、今もケニアに居れば話しは別だが、現在北海道のラジオも入らない所にいるので勘弁してもらいたい。

次にこのミジケンダの人達が住む地域、クワレ・キリフィ・モンバサ地方周辺の話しであるが、キリフィの上にある、タナリバーという地域があり、そこを流れるタナリバー周辺がホームグラウンドの「ポコモ」という人達がいる。
彼等は今もあまり都市部では良く知られない民族で、時々(wa)nyika "people of the wilderness"=未開人?なんて呼ばれたりもしている。ひどいよね?この呼び方は昔ミジケンダの人達がミジケンダと呼ばれる前の呼び名だったらしい。ちょっとイヤな、ひどい呼び名だ。
マーシャはこのポコモの人達にかなり好感を抱いているらしく、よく彼等の所へンゴマの修行に行くよう進めてくれた。彼が言うにはポコモの人達はとても人なつっこく。友好的で、且つ、ンゴマも面白く、又、ムガンガ・ムチャウィ等の世界もまだまだ強力に残っている為、是非行ってこい!なのだそうだ。
そして最後に「ポコモの人達は、タワラの大好きな米食だぞ!スワヒリの女なんかにうつつを抜かしているくらいなら、マリンディから少し足をのばして、ワタムなんかじゃなく、タナリバーへ行けよ!」なんていう余計なことも言っていた。

確かにガラマとマーシャとイディに見せてもらったポコモのンゴマは面白かった。大きなチャプオのような太鼓を使うのだが、前半のゆっくりとしたテンポの時、断続的に一定のテンポで叩かれている太鼓に合わせていると、突然明らかに異質のリズムをマーシャが叩き、又手を止める。それが強烈なインパクトとなって周りの人間を覚せいさせる。ゆっくりと一定のリズムにのって気持ちよくなっている所に冷水をぶっかけられたような感じだ。そのマーシャの太鼓が現れたり、消えたりを繰り返す。だんだんとその間隔が短くなり。2つの太鼓のリズムが解け合い、盛上がってくると突然マーシャが別のクセのある跳ねたリズムを叩き始める。テンポも一気に早くなる!!
僕が良く言う、マーシャの「神に祝福された手」からくり出させるリズムは恐ろしく粘っこい上にやたらとバネがある。
「キメーテ ニャンマウリワー オーオ ニャンマウリワー・・・・!!」

こっちも盛上がってくる。すると又、わざとこちらの気持ちをはぐらかすかのように、わけのわからないリズムに変えたと思ったら、スッともとに戻す。まあ、ちゃんとバッチリ戻ってくるのだから理解出来ない俺が悪いのだろう。
マーシャの顔を見ると、ああ!目があいてしまっている!余談だが、マーシャはノってくるともう目が120%あいてしまって、もう止まらなッくなるのだ!
この時見せてもらったのは、ポコモのサカムゼーション(オチンチンの皮切り)儀式のンゴマらしい。なるほどなるほど、、、いかにもマーシャの好きそうなンゴマだ、とても面白かった。リズムにスパイスが沢山入っていて、、、。どうもマーシャは一定のテンポの中でソロをとったり、繰り返しというのがあまり好きではないみたいだ。
すぐに飽きてしまうらしい。
でも、ンゴマ・ヤ・ペポは繰り返しのもろトランス的な要素を持っているが、、、。
それは多分「ギリアマ」の太鼓だからあきないのだろう。とにかくポコモのンゴマもギリアマとはお隣同士なのだから、いずれ勉強しなければならないだろうなあ、これもまた呪術的儀式も未だ色濃く残っているらしく、彼等のそういった種のンゴマに興味があるのなら、是非誰か先に行って学んできてくれないかなあ?
あのね、「ワニ」なんかを使うらしいよ。タナリバーに「ワニ」がいるのか良く知らないけれど、彼等は呪の使役として、「ワニ」や、他の動物を使うらしい。
ナイロビのある大学の人もそんなことを言っていた。もちろんその人は信じていないのかも知れないけど、僕はちょっと複雑な気分。だから誰か先に行ってきてもらいたいんだ。
他にもやらなきゃいけないこともあるし・・・。




<続編8>

ラム島周辺、スワヒリの人たちにも面白いンゴマがいろいろある。

(2002/07/09)

さて、タナリバーを過ぎると、日本人観光客にも有名なラム島のある地域がある。もちろんそこにいるのはスワヒリの人達だ。この人達のンゴマでは「チャカドカチャ チャカドカチャ チャカドカチャカドカチャ・・・」で有名なチャカチャカがある。僕が知っているチャカチャはそのほとんどが、ハチロク(8分の6拍子)と呼ばれるリズムだった。跳ねてシェイクしたり、ヨコにゆらゆらゆれるようであったり、そのバリエーションは無数にあるのだが、全てチャカチャになるらしい。

しかし、多分これは総称であり、その中には色々な違いがあるはずなので、これこそ他の日本人やジャシーの卒業生、又は在学中の学生さん達に是非モノホンのチャカチャを修行してきて欲しい。
僕が叩くチャカチャはギリアマや他の民族の人達が教えれくれたものなので、多分沢山の事が省略されていると思うのだ。
そんな訳で、これもまた正式なレッスンを受けた訳ではないが、可能なだけ話してみよう。
彼等スワヒリの人達のほとんどが、イスラム教徒で、それは彼等のルーツにもさかのぼるのだろうが、母国語であるスワヒリ語や彼等のいわゆるスワヒリ文化にもイスラム(アラブ)の影響が色濃く残っている。

太鼓もチャプオやウパツ(金物、お皿をひっくり返したようなもの)小さいブンブンブ、なんかを使うし、ザンジバル島では素焼きの小さなダラブカのような太鼓も見たことがあるし(これは後日写真でモロッコの人がそっくりのを叩いていた。)又、ミレニアムの夜。ラム島出身の人達が、これまた珍しいキスムの町でタールそっくりの太鼓を叩いていた。
又、太鼓の叩き方も、チャプオなんかはギリアマのそれと変わりないが、小さいカブンブンブ(?)なんかを叩く時は明らかに違い、パラパラと指を使うのだ。アクセントにはスラップを入れたりするが、その指を使ったニュアンスはとても微妙で面白い。
踊りもベリーダンスのようで、前に話したスワヒリのムワリムの家に間借りしていたMさんは、スワヒリの結婚式に出席して、女性達だけ!(男子禁制)のパーティーに参加したらしい。その時の彼女等の腰つきと言ったら、僕なんかすぐハナジブーになっちゃうくらいモロ!Hな腰振りらしく、うーん、恥ずかしい。一度見てみたいものだ。同じくその時結婚式に出席したのかどうかは知らないが、D君がメモをとってきたチャカチャのフルの編制では、ウパツに加えて僕も初めて聞く種類の太鼓がいくつかあった。

ラム島やザンジバル島。モンバサ、マリンディ、ワタムなど、スワヒリの人達のホームグラウンドに訪れる観光客って本当に多いし、中には何度も訪れているリピーターも沢山いる。だから、そんな人達には是非、彼等のスワヒリのンゴマの世界にも訪れてみてもらいたい。
太鼓叩けない?唄が下手?踊りが上手じゃない?大丈夫大丈夫。ンゴマは「音楽」とは違うから、日本の基準お上手下手はないよ。皆で分かち合うものだから必ず居場所が見つかるはず、手を叩いて歌うだけで充分じゃない?もし、スワヒリのンゴマの世界を訪れることができれば、毎度お馴染みのシーフードを食べて、海で泳いで、ヘンナを手足に塗りたくって、カンガ、キコイを買って日本へ帰るような旅とは全然違う世界が見えてくると思うよ。自然にね。
そうなったら、今の何倍も楽しくなって、スワヒリが、ケニアが、アフリカがもっと好きになっちゃって、もっと興味がでてきて、そうやって人生のウタム(?)は続いていくのだ。極めて自然に、そして、そんな日本人(外国人)が一人でも多くなればいいなあと思う。

さて、話しは変わるが、最近ちょっとしたことから、前に話したズマリと言うディゴ、スワヒリが持っている日本のチャルメラ似にた竹のリードのラッパの起源が分った!!ようなのでここで話しておこう。
先日、久しぶりに1日休みをもらったので、北海道の旭川まで出ると、僕はまず髪を切った!十年ぶり以上に自分でとか、友達にとか、駅前のディスカウントの床屋でとかじゃなくて、何かいい匂いのするお姉ちゃんに髪を切ってもらって思わずドキドキしてしまった。シャンプーなんか2回もしてしまった!全部違う匂いのお姉ちゃんだ。うーん。まいったまいった。なんだかバチが当たりそうだ。まあ、そんなことは放っておいて。
そこで髪を切り終わって、いい匂いのネエちゃん達を後にすると、僕はするどく「スタジオ」をさがした!すると、旭川の中心街にはスタジオが2つしかなく、片方の某有名楽器屋さんのスタジオは入会金なんかをとるらしく、バカバカしくなってしまい店内にあるコンガのセットの音を確かめるようなふりをして、先日見たブーガラブ(セネガルのカザマンス地方の太鼓)をマネていると、ふと一冊の本が目に入った。
そのタイトルは<民族楽器大博物館>と言うもので、著者は若林忠宏さんだった。
僕は今回、一身上の都合により、日本へ帰ってきてから、誰か日本で東アフリカの太鼓なんかを教えてくれる人、場所はないか?と、また一人でも多くの人に自分のやってきたケニア、ウガンダの太鼓を知ってもらいたくて、手当りしだいにアフリカンパーカッションとか、民族音楽店とか、まあ、ただパーカッションを教えてます!みたいなもんでも、とりあえずアポをとって、実際に会いにいってみた。十ケ所以上行ったんじゃないかな?でも、たいして「お話」だけでおわったり、「おいおいおい・・・」みたいな内容だったりして、非常につまらなかった。
そんな中で、面白い人が何人かいて、その中の一人が若林さんだった。僕が面白いと思うぐらいだから、非常に変わった人なんだと思う。本では若林さんや他の日本人との出会いは又、今度詳しく書くことにして、さっきの本は若林さんの2000点!を越す民族楽器の中から訳400点を選んだ全て写真付きのとっても面白い本なのだ。
その中でズマリそっくりのラッパを見つけた。名前はズルナ。トルコの楽器らしい。
意味は「力の笛」であるらしく、何ともう一枚の写真でチュニジア人が吹いているのはズマリそのものではないか!!又、名前もムズマル(Mzumar)でこれはズルナ(Zurna)のアラブでの名称らしい。ムズマル(Mzmar)ズマリ(Nzumari)うーん。ズマリのルーツはムズマルにあるとみていいだろう。

この本に、やっぱり東アフリカの伝統音楽についての誤記誤解があった。
でもね、これからは東アフリカについては僕が全面協力するので誤解はもうない!!ワッハッハッ!!
アートダイジェスト社発行¥1200。 
スッゲー面白いよ! こんな本は今まで日本に一冊も無かった。
絶対お勧め! 僕、俵貴実が自信を持ってお勧めします! でわ!




<続編9>

アフリカの民族楽器は、「楽器」なんてものを越えた存在。

(2002/07/09)

今日は先日紹介した若林忠宏さんの本を参考にしながら話しを進めていこう。

スワヒリ、ミジケンダ(特にディゴ)の竹のリード楽器、ズマリ(Nzumari)のルーツはムズマル(Mzmar)だろうという話しは前回した。ズマリは長さ30cm弱の楽器で、竹のリードを口の中にすっぽりと納め、結構やかましい音がするのだが、ナイロビでも割と手軽に手に入るので、興味のある人はどうぞ。しかし、実際に良いものを買いたい場合は、コーストまで行って、実際に使われているものを交渉して譲ってもらうのが一番だろう。
又、ギリアマには、ズマリによく似た楽器でブゴ(ゴは鼻濁音)というのがあって、これは長さが1mぐらいあり、凄い低音が出るのだ。かなり存在感があり、インパクトのある楽器なので、太鼓はダメだけど、昔吹奏楽をやっていました!なんていう人は是非チャレンジしてみたらいかがだろう?ナイロビではクイチャか兄のガラマが上手な奏者で、又職人でもある。前に話した某ジャズピアニストも、ケニアへ来てこのブゴを気に入ったらしく、買って帰ったようだ。
他にミジケンダの楽器では、シヴォティ(Chivoti)なんていう横笛もある。長さは20cmぐらいで、これが上手な人は結構多くいるので、先生を探すのも簡単だと思う。シヴォティを習うなら、出来ればミジケンダの人に、そして、その伝統的な曲(唄)と共に教えてくれる人が先生になれば最高だと思う。例えば、同じような横笛でも、キワユの人はムトゥリル(Muturiru)、クリアの人はエンボゴロ(Embogoro)という別々の横笛を持っていて、それぞれ似ていても、別な訳で、その各楽器に出会って、その楽器をマスターしたい!と思ったならば、その楽器のルーツまで戻ったほうがベストだと思うのだが、、、。

ここではっきり言っておこう。

僕が知る限り、アフリカの各民族楽器は、それ自体、僕等の考える「楽器」なんてものを越えた存在であり、とてもそのルーツが深く、力強く、揺るぎないのだ。「楽器であって楽器でない」ちょっと分かりにくいかも知れないけれど、例えばブンブンブ、ナイロビにあるいくつかのコンテンポラリーなグループのほとんどが、この太鼓を使っているが、まともに叩ける奴はほとんどいない。

いいかい?ブンブンブはミジケンダの太鼓だ。それ自体がその民族の歴史の一部なのだ。歴史を甘く見るなよ。あなたがもし、自分の才能とやらに少しでも自信があるのなら、その才能×○○の才能を持った人達が何代にも渡ってはぐくんできた一つの結晶がその楽器なのだ。だから、ブンブンブという太鼓の秘密(全ての民族楽器には秘密がある)を知りたければ、その楽器、民族のルーツまで学ばなければならないと思うよ。そして、その一つはブンブンブを使った伝統曲を沢山学んで、沢山練習することだ。また、その秘密を知らなければ、その楽器をマスターすることなんて絶対出来ないのだ。こんなことってちょっと考えれば誰でも想像がつくと思う。だからこそそれを完全にマスターした人は一つの偉大な知の結晶であり、人々からヘシマを与えられるのだ。

確かに数多くある民族楽器、そのほとんどが、我々の知らない者にとってはユニークで、ミュージシャンの方々から見れば「楽器」としてオイシイものもあるだろう。だけど、もう一度言うけれど、ルーツを甘く見るなよ!!そいつらは結局それだけだ。

僕は別に伝統的なフォーマットの上に新しい物を作り上げる事がいけない事と言っているんじゃない。大変素晴らしい事だし、僕も好きだよ、そういうの。でも、これはマーシャと良く話すんだけど、砂糖の味も塩の味も区別出来ない舌の料理人が作る物が食えるわけがないのだ。

挑戦するのは勝手だけれど、あまりにも愚かだ。また、その楽器をマスターしたとしても、必ずしも新しいモノを作り出せるというわけではない。そんな人は一握りで、皆が皆できる仕事じゃないと思うよ。僕が知っている限り、多くの伝統音楽家は、その楽器を演奏する事だけで素晴らしく意味があり、完結してしまっている為、それだけだ、それだけなのだ。
逆に、根無し草のミュージシャンは何でも器用にこなすのだけれど、土台がしっかりしていないどころか、まったくないので、全てがショボイのだ。そして、たまーにこの2つのバランスがとれるような人がいるのだ。何でか?そんなの僕にも分からない。それはムングが決める事だろう。ただ、このアフリカ大陸に興味を持って、大好きになった人達が沢山いるのなら、その人にとって「ンゴマ」は避けては通れないものだと思うよ。それ自体が色々な重要な要素を含んだ物だから「音楽」なんかじゃないのだ。楽器を上手に演奏する事だけじゃないのだ。上手に踊る事だけじゃないのだ。僕はたまたまギリアマの太鼓を習うという行為によってンゴマの世界に入り、それらを学ばせてもらった。僕が正しく教えられた伝統曲を正しく受け取った時、僕は長い一つのギリアマの人達の流れの一つとなるのだ。そんなもん音楽なんかじゃ、言葉が足りん!!全然。

僕が初めてマーシャに太鼓を習い始めた時、まず基本的な音の出し方から習った。日本のどっかの教室みたいに。何年かぶりに再会して正式にギリアマのンゴマを彼に習う事になってからは、いきなり伝統曲を叩かせられた。ブンブンブ、初めて叩く太鼓だった。それ以降は、全てそうだった。ムションド、ルイヤのスクティ、ガンダのバキシンバ、ンガラビ、つまり音の出し方、リズム、唄、曲を分けて教えたりは決してしない。全部一緒だ。伝統曲というのは良く出きている。
その曲を正しく学べば、その曲自体が学習者に正しい音の出し方、リズムを要求してくるのだ。その曲をマスターすると、必要なスキルが自然に身についている、又その繰り返しによって、その楽器の秘密を少しずつ知っていくのだ。それはンゴマだから、当たり前なのだ。民族楽器を学ぶというのは、古き先人達の記憶を時を越えて受け継ぐという事なのだ。

だからギリアマでも何でも、その民族のンゴマを学ぶのなら、ちゃんとその楽器を使って、学んで欲しいし、逆にある楽器を手にしたなら、その民族のンゴマを通して学んで欲しい。そしてそれをマスターした後、運良くムングに選ばれれば、あなた自身が新しいモノを作り出し、それを発展させるその人になるのだろう。グッドラック!!

それじゃ、話をブゴに戻して、、、と。

よくブゴを使う時、相手の人が<カヤンバ>という、まな板のようなシェイカーを振って、踊りながら唄を歌う。このカヤンバも非常にポピュラーな楽器で、オリジナルはミジケンダだが、ナイロビでも他の民族が教会などで使ったりしていて、目にした事がある人も多いと思う。
これももともとミジケンダの楽器で、ただ左右に振るだけではなく、親指で真ん中についている板を叩き、実に多彩なリズムを奏でる。又、ただ突っ立っているのではなく、その自分の奏でるカヤンバのリズムに合わせて、踊り、ステップを踏み、腰を振り、そして必ず歌う。
ナイロビの他の民族や、多少日本に入ってくるのはこの大切な親指で叩く板がなく、万が一あったとしてもお飾りのまったく使えないような物しかない。情けない。

ズマリやチャカチャ等のリズム、スワヒリの人達をはじめとした東アフリカ海岸地方にも、アラブ・イスラムの影響がたくさん残っている。しかし、じゃあどおしてDjembe又は、 Djemgeのような型の太鼓が見つからないのか?謎だ。
一般にDjembeのルーツは、古代ペルシア?アラブにあった、トゥバク(Tombak)やダラブカ(Darbuka)などだといわれている。それがイスラム教とともに西アフリカへ渡り、Djembeになったのだそうだ。
じゃあ、どうして東アフリカの海岸地方にもそれがないのか?どう見ても彼等、東アフリカの海岸地方に住む人達の文化も、イスラムも影響は大だぜ? 年代が違うのか? 経路が違うのか? どうにも分からん。謎だ。
まっ、東アフリカ全般の民族楽器、芸能形態について、僕が納得できるレベルまで知っている日本人って、一人も、ただの一人も居ないんだから仕方ないか?
本当、馬鹿みたいだ。こんな事紹介するのは、他の有名な日本のアフリカン・パーカッショニストや、それで本書いたり、人に教えたりして銭を稼いでいる人達の仕事だとおもうんだ。そんな人達にはもっと頑張ってもらいたいもんですな・・・まったく!

さあ、ポコモ スワヒリが終わって、モンバサの下、タンザニア近くには、チャガ(chaga)や、セゲジュ(segeju)といった人達が住んでいるのだが、彼等のンゴマはどんな物だろう?タンザニアのマコンデと呼ばれる人達のンゴマはムションドの様な太鼓も使い、アグレッシブでかなり面白いとマーシャが言っていたし、実際彼等とイディが二人で叩いていたマコンデのンゴマはかなり急テンポで激しく、派手なンゴマだった。かっちょいい!!ブンブンブのようなタイプの太鼓は東アフリカの海岸地方では数多く見られ(大きさにそれぞれ違いは見られるが)又、チャプオのような太鼓も多い。

モンバサから少し内陸に入ったタイタ・ヒルの辺りのタイタの人達もバカテカイ、ブンブンブみたいな太鼓を叩く。彼等のンゴマも結構有名で、体験した人はいないのかな。まあ、大体の人がモンバサロードを下って、モンバサまで行きついてしまうわけで、その手前でわざわざ降りてなんていう気の効いた旅行者なんていないか?協力隊の人達なんて結構いそうだけどな。まあ、知っている人がいたら是非教えて欲しいなあ。

首都ナイロビからマタトゥでも行ける「マチャコス」に沢山住んでいるカンバの人達のンゴマも昔、かなり「カリ」なンゴマとして有名だったらしい。この有名だったらしいと言うのは、現在ではそのすごかったであろう勇姿を見る事はかなり難しいらしいのだ。それは何故か?まあ、それについては次回話してみましょう。それからどんどん西へ西へとンゴマの話を進めていく事にしよう。




<続編10>

カンバのンゴマの名前は「ムカンダ」(Mukanda)

(2002/07/12)

前回言い忘れたのだけれども「タクシードライバー」や「マライカ」の作者として有名な「ファデリ・ウィリアムス」さんがタイタの人であったことと、スワヒリ・ポップの大御所「ムゼー・フンディ・コンデ」。 この両氏共が近年亡くなられて、皮肉な事に、亡くなった後やっと二人のカセットやベスト盤が再・新・発売されている。ムゼー・フンディ・コンデなんて「キベラ」(※筆者が日本語教師として勤務していたJACII至近の低所得層向き住宅街)に住んでいたそうだ! 情けない。 それなら僕は生前会いに行く事が出来たのに……。 とにかく、二人に合掌。

さて、カンバの人達の「カリ」(※本来は"辛い"を意味するスワヒリ語。この場合は"凄い"ほどの意)だったンゴマは今、その姿を見る事は本当に難しくなってしまっている。 その理由はなぜか?
ずっと前にも話した通り、彼等は80年代にキリスト教徒になる為だかなんだか知らんが、大々的に自分達のンゴマを燃やしてしまった。それまでは呪術的な世界もカンバの人達は「カリ」だったらしいのに……。
僕がカンバのンゴマを最初に知ったのは、時々街中で売られている「アカンバドラム」とか言うカセットテープだった。ヒューヒューという笛のような音の中から大迫力の力強いユニゾンの太鼓と、これまた血管が浮き出るような掛け声が突然現れ、その一つ一つは短く、まるでゴンダやマブンブンブのようなンゴマだった。しかし、このテープは編集があまりにもひどく、所々ブツ切りになっていて、とても聴けたもんじゃなかった。しかし、そのテープに納められているンゴマ達の迫力、臨場感がとても気に入って、自分なりにも編集し直して良く聞いていた。
また、その数は本当に少ないのだが、見た目だけ伝統音楽風のカセットはいくつかナイロビでも手に入り、それら全て買ってみたことがあったのだ。

ある日、ジャシーで練習が終わった後、マーシャとガラマにそれら全部を聞いてみてもらった。すると、すごいすごい。プレーしている人の名前をバシバシ言い当てるのだ。しかも、「あっ、これは○○だ。ナイロビの○○に住んでいる。今は○○でプレーしているだろう」といった、かなり具体的な内容なのだ。
大体それが半分、後は、そのンゴマの民族は分かるけど誰か分からないものや、まったくなんだか分からないもの、そして一番多かった<表記されているものとまったく違うデタラメなもの>ばかりだった。
特にひどかったのが「ゴンダーエンターテイメント」という表題で、ジャケがディゴのセンゲニャ風で、内容がわけのわからんルオー語の唄というもので、マーシャはお家芸である「ゴンダ」の名を勝手に使われたことに相当腹を立てていたようだ。
「まあ、お金を無駄にしてしまったな・・・」と二人に言われた。(まともなケニアの伝統音楽の音源が一つもないことがわかったのだから、まったくの無駄ではなかったのだが)
これはねえ、ケニア、東アフリカに関わる日本人は恥だと思わなければいけないよ。
僕が今まで紹介してきた、またこれから紹介していく数々の素晴らしいケニアの伝統音楽の音源がタダの一つもないと言うのは恥だね、恥!
アフリカ大陸の国々の中でもこれだけ日本人が多く関わっているのに、ただの一つもないというのは本当に恥ずかしい事だと思うよ。
2、3枚、いや、日本からももっとCDが出ているのだが「質」と言う点ではもうどうしようもない。間違いだらけの最低のレベルだ。だれか、映像でも、ビデオでも、ちゃんと撮影、録音できる人間がいたら頼むよ。本当、現地のコーディネイトは俺が飯&酒代で引き受けるからさ! すっごいもんが出来るぜ! 約束するよ!!

そんな中で唯一まともなのは「ボーマス・オブ・ケニア」のテープくらいか……。
ただし、それも五十歩百歩。音質や内容でベストと思えるのは、ただの一つも無いのだ。
さて、問題のカンバのテープは、実は、マーシャやガラマ達にもンゴマを教えたことのある有名な人のものらしい。ひどい質だが、二人は喜んでくれた。
そして再び庭へ出て、チャプオを使ってカンバのンゴマのレッスンが始まった。
「カンカンカココン、コカコン、カココン……」 「ヘーレラホーワーエー」
カンバのンゴマの名前は「ムカンダ」(Mukanda)といい、とっても大きな両面太鼓だ。それをチャプオのように腰から下げ、両側を叩く。主に使うのは右手側だ。しかし、チャプオだと口径が小さすぎて、なかなかあの音量が出ない。そこで、ブンブンブを使うと(違う太鼓なのでアレンジしなければならないが)そうそう、やっとあの迫力が出てきた!
確か、うちの学校の授業の中でもやったことがあると思う。
形態はムションドのないブンブンブのような感じか、ムションドが無いということはインプオバイズする太鼓が無いのだが、あの叫び声とユニゾンとアクロバッティングな躍りで魅せるのだろう。
昔の写真では宙返りしている男がいたり、組み体操のように高い人の柱を作っていたりしている。太鼓の数も5〜10人近くいる。そりゃーすごかっただろうと思う。この手のンゴマ(ある決められたリズムをユニゾンで叩くようなもの)は大勢で叩くものが多く、ゴンダもそうだが、そうしないとその本体のアンサンブルになりずらいのだ。
ブ厚い音を作る為にはそれなりの大人数で叩く。その大人数で叩く太鼓はそれぞれ生で叩かれるものだから、それだけの臨場感を生むのだよ。
時々ボーマス・オブ・ケニアでも叩いているが、いかんせんそれだけの人数がいない。又、この手のンゴマはユニゾン全てを覚えなければいけない為、伝えるのが難しい。
ナイロビ近郊のマチャコスでは、まずこのアカンバのンゴマの本格的なものは見られないと思う。キトゥイの奥まで行って、どうかなあ?といった具合だ。カンバの人達は木彫りだけでは無いのだよ。こんなに素晴らしいンゴマがあるのだ。

そりゃあ、ナイロビに住んでいて熱心なキリスト教徒の中にもこのカンバ魂を忘れずに、逆にこのムカンダが大好きな人もいるよ。しかし、その本格的なアンサンブルを作り出せる人達がいないし、そういった「場」(これもンゴマだ)が無いというのが、本当の所だ。皆の中でこのカンバのムカンダというンゴマに興味を持った人は、今すぐマーシャか、クイチャか、ガラマに聞いて、ナイロビのイシリー(※Eastleigh)という地区に住む彼等の師であるカシリリ(Katsilili)氏の所へ行こう! 運が良ければまだ健在だ。 時間は無いよ!
カンバのンゴマの格好良さは僕が保障しよう! こういった種のンゴマのキメは、日本でドラムを叩いている人にもオススメだ。ジャバリ・アフリカというケニアのグループが、このムカンダをアレンジして(現代風にドラムをいれて)やっていたのだが、普段格好悪いジャバリがすごく良く見えた!! それだけそのユニゾンのリズムが格好いいのだ。
アンサンブルそのものは、ゴンダとかより単純なので、すぐ覚えられると思う。こういった文化遺産的なものが消えていくのを、ケニア好きの人達が、アフリカ好きの人達が!ましてやアフリカ音楽をメシのタネにしているパーカッショニストの人達が、黙ってみているわけがないだろう。ないよなぁ? ないでしょ?? ないですよね!? 頼みますよ、もう!! これはまだナイロビで学ぶことができる、ネイティブに!
でも、カシリリ氏がもう居なかったら、ちょっと難しいと思う。ネイティブの一流に習うのは、皆さん、悪いことは言わない、手遅れにならないように、イシリーのカシリリ氏の元へ急いでほしい! 時間はないよ!!




<続編11>

ケニア山周辺 キクユ族とメルー族のンゴマ

(2002/07/12)

前回話したカンバの楽器の中で、「ウタ」(Uta)と呼ばれる弦楽器があるらしい。弦を叩いて音を出すらしく、弦打楽器になるのか?ともかく、そんな楽器もあるらしい。
困るのは、ケニアに一冊もこういったものに関する充実した内容の本が存在しないことだ。これは東アフリカ全体の問題かもしれない。とにかく、この「ウタ」に関する情報はないものか? 現在もその姿は残っているのか? 知りたいなあ。
改めてこんなこと(ンゴマの事)を書いていると、新たな疑問が出てくる出てくる。今現在、日本にいる自分がとても恨めしいよう。早くケニアへ戻りたいもんだ。戻れるかしら? 本当に? うーん困った。

ナイロビ周辺の人達で、カンバの次にはキクユの人達がくるだろう。この人達のンゴマの中心は唄だ。僕の知っている限り、踊りも派手ではないし、太鼓もないし、楽器といえばキガンバ(Kigamba)と呼ばれる足につけるガラガラと、ムトゥリル(Muturiru)というフルートぐらいだ。あとは、手拍子と唄だ。
ンゴマは打楽器のアンサンブルだけではないし、これだけシンプルでもキクユには本当に美しい唄が多い。ジャシーで教えてくれたD大学の先生も、よくこのキクユの唄を授業で取り上げていた。
「エニョ バィヤー ムワレウィトー エニテト? ナ イザンジェ エナィシュゼ
シャ ンゴンベ エニョ バイヤー  ムワレウィトー・・・  クメレラ クメレラ……」
ケニアのレゲエ&ラップミュージシャンのアルバムで聞いたこともあるはず。この「ウヒキ」という歌、結婚式の歌らしい。右足にクセを付けて、歩き、立ち止まり、体を、足をシェイクするのと、この歌だけなのだが――いいよ、これ。原曲も、キクユはとても大きい民族なので、もうケニア中に居るし、かなり昔からキリスト教が入って来て、専門に勉強していない僕は、どこからどこまでが、ゴスペルで、どこからどこまでが伝統曲か分からないが、そのどちらも、キクユ語で歌われているものに関しては皆美しかった。
次にケニアに戻る時には、キクユの美しい歌も沢山学んでこようと思う。

話は変わるが、Mt.ケニアのふもとに住んでいて、髪の毛ボーボーの本物のラスタファリのような生活をしている人って、キクユの人達だっけ。 あれは何かの宗教か? 今も存在する人達なのだろうか? その人達にも是非あってみたいなあ。

他にMt.ケニア周辺では、キクユにとっても良く似ているメルーの人達がいる。彼等にはとてもユニークな唄、太鼓、踊りのンゴマがある。それは「チュカ」と言い、その特徴は皆で70〜80cmの太鼓(筒状)を肩から紐でぶる下げ、唄いながら出てきて、列を作ると、それをけさ掛けにして股にはさみ、皆で一緒に叩きながら唄い踊るといった、全員が皆全てを一人でやるのだが――。
初めて見た時は、そのコミカルな動作とアンサンブルに笑い転げてしまった。
「パンパンパンパン ンパンパンパンパン!(うん)ヤァーヤァー!!」
どう見ても応援団のようなのだ。踊りも、でっかいオチンチンをかかえて踊るカエルのようなのだよ。それが、結構な人数と音量で迫力を持ってせまってくる!!
股の間の太鼓を抱えてピョンピョン跳ねたり、お互いにぶつかってぶっ倒れたり、一緒に見ていたY子ちゃんもその太鼓が意味するものが「オチンチン」だと思ったに違いない!! 「いやぁねぇ」と言いながら顔を赤くしていたからなぁ。 多分、他の日本人も初めてみたら一緒に「いやぁねぇ」と言ってアレを想像するに違いない!

しかし!! あれはオチンチンでは無かったのだ! 
実は、このンゴマは「マウマウ」(※1950年代からキクユ族を中心に盛り上がったケニアの独立解放運動)の時代を歌ったりしたンゴマで、「オチンチン」だと思っていたものは、銃器などの武器を意味していたのだった! 僕がこの第一印象のことを本人達に告げると
「アッハッハッハッハ……バカか、お前は? チンチンを抱えて戦うわけが無いだろう? タワラはそんなことばかり考えているからそんなふうに思うんだ!」と、笑われた。
で・も・ね、このンゴマを何の説明も無く見たら、十中八九僕と同じように思うはずだよ、絶対に。

しかも、その振り付けは本当に笑いを誘うものだし、とっても面白いンゴマだ! 唄いながら踊り、しかもそれと一緒に太鼓も叩く! カヤの外で生きてきた日本人にとっては、一番始めに「ンゴマ」を体験できるンゴマかも知れない。
日本人に叩かせたり、ンゴマを教える時いつも思うんだけど、皆は唄・太鼓・踊りを切り離して考えているんだな。
それじゃダメだよ。「音楽」じゃいいのかも知れないけれど、「ンゴマ」じゃダメだな、それじゃあ。

チャカを学べば、唄いながら叩くことを自然に覚えるし、しかも踊りと一緒に叩くわけだから、そのグルーヴも自然に身に付いてくるだろう。あの、股に挟んでのスラップは、銃器をぶっ放していたのだな。でも、やっぱりぶっ放すという事は、アレと関係があるように思うんだけどなぁ……。でも、考え過ぎか?

いきなり他のンゴマをやるより、ちょっと笑っちゃうけど、チュカから始めるのがンゴマ初心者には一番いいかも知れない。もちろん、日本で打楽器を教えている教室で、学生にこういった事をとても分かりやすく体験してもらう方法としても、とってもオススメです。
本当に、伝統曲というのは良く出来ている。すごくよく出来た仕組みになっているんだなぁ。
このンゴマのポイントは<眠が血走るくらい>本気でやる事だ!! それも、大勢なら大勢の方が良い! 途中で自分で笑ってしまったり、少ない人数だと急にしらけるだろうなぁ、と思う。ちゃんとやれば、スパンスパンと決まる全員のスラップと身体の動きが完全に一体化して、気持ちいいよ。

チュカはボーマスでもやっているし、イディやワカケに聞いても教えてくれると思う。
リズムもそんなに難しいものでは無いし、是非、是非オススメのンゴマです。




<続編12>

このまま一気にルオーのンゴマにいっちゃおう!!

(2002/07/12)

次にマサイ・サンブルの人達のンゴマだけれど、残念ながらこれも本物を実際に観た事がないのだ。
僕が知っているのは、やたら低音の波状的コーラスと、頭のてっぺんから出すような高ーい叫び声と、あのキリンみたいに歩くのと、女性の頭にぶら下げた飾りを肩、胸を使ってワサワサやる踊りと、あと男性のあの有名なジャンプね。たったこれだけだ。
誰か詳しい事を知っている人が居たら教えて欲しいなあ。何度も言うけど、ンゴマは太鼓だけだったり、他の楽器の演奏だけの意味じゃあないからさ。

去年の夏、京都在住のオモシにカレンジンの歌を教えてもらったけど、なんか、マサイの人達ににてたなあ。
そう言えば、マサイ・サンブル・カレンジンの太鼓って聞いた事ないなあ、皆唄と踊りだけだ。D大学の先生は、木のおいしげる地域の民族は太鼓を持っている事が多く、逆にサバンナや遊牧民族達はその生活環境から、太鼓やその他の大型の楽器を持っている事が少ないと言っていたが、本当かなぁ?
誰かこういった疑問全てにチャッチャッと実例を見せて答えてくれる人って居ないのかなあ。まあ、これも次回ケニアへ帰った時(帰れたら)時間がゆるすがきり調べてきましょう。今回はゴメン!!!

さあ、オモシの話が出てきたから、このまま一気にルオーのンゴマにいっちゃおう!!

オモシこと、ロナルド・オモンディ氏は、ルオー族の京都在住のケニア人だ。ナイロビでバクルトゥ・アフリカというグループを率いて、各地でショーをやっていた。
実は、当時僕はこのグループがあまり好きではなく、オモシともほとんど交流がなかった。一度、彼のDjembeのひもを縛り直してあげた事があるくらいだった。彼の奥さんはジャシーの卒業生で、日本語先生の同僚のY子さんと同期生だった。去年、僕の教え子のオポンド(彼もルオー)が国際交流基金の試験の優秀者として大阪の方へ来日していたので、会いに行った帰り、京都に住むY子さんの家にも遊びにいった。その時、オモシ夫妻も日本に帰ってきていたので、4人で京都を自転車に乗って観光した。
実は、この時初めてオモシとまともに話をしたのだった。で、じっくり話してみると、彼のグループ<バクルトゥ・アフリカ>はエンターテイメント性を全面に打ち出したグループだったのだが、彼自身はとても真面目にンゴマについて学んでいる人なのだった。

僕自身、ケニアの西側の人達のンゴマについてはいまいち良く知らなかったし、彼は元々踊り手だけれど、多分日本に住んでいるケニア人の中で唯一ンゴマについて良く知っている人(伝統音楽家)なので、僕としても、もし足代と小遣いくらいがペイできるイベントか、何かがあったら横浜の方へ来てもらって一緒にやろうねっ!と約束して別れ、後、去年の11月頃まで、1ヵ月近く僕の家に泊まり込んでもらって、24時間べったりと一緒に居て、色々な事を教えてもらったり、一緒に何度か小さいショーをやらせてもらった。その頃手伝ってくれた、D君、M子ちゃんも生のケニア人ダンサーとの触れ合いは、楽しかっただろうと思う。オモシ、ありがとな!エロカマーノ・アへーニャ!

さて、ルオーのンゴマだけれども、何から話そうか?
一番有名なのはニャティティ(Nyatiti)かな?多分、このニャティティはケニア全土で一番ポピュラーな弦楽器だと思う。8本弦のハープで、左右の手で4本ずつ弾くのだが、それと同時に、足首に付けた鈴(ルオーでは何と呼ぶのだろう?)や、座っているとても小さい椅子の片側をカチカチいわせたり、はたまた足の指にはめた指輪みたいなもので、リズムをきざみながら、このニャティティを弾くのだ。きざむリズムは単純な4分打ちのカン・カンカンだけれど、それにこのニャティティが絶妙のタイミングでからむ。そして、それに合わせて奏者自身が歌うのだ。
この足に付けた鈴も大切で、上手な人は途中、手を止め、足でリズムを刻みながら踊り回り歌い、語り、再び元の場所に戻り歌い始めたり、オハングラという、とかげの皮を使った太鼓の叩くリズムに合わせて、まるでそれと会話をするように、足の鈴を鳴らし踊り回ったりする。
一見タップみたいだけれど、この手の鈴みたいなのは、上下の動きや、左右の動きに対応して、つまり、ゆれによって音を出すので、足の動きに対し、音のレスポンスが遅れたり、この間にある、アソビの空間を上手に使わなければならないのだな。
歌う時の言葉がたいていルオー語なので、当たり前だが、ルオー語を話す人以外、あまり歌の内容については良く分からない。まあ、この辺がスワヒリ語話者にやっとなれた程度の(僕も含め)ジャシーの卒業生の限界だろう。
歌われる内容は様々で、ある種、日本の慢談のような要素も含む。だからニャティティのテープを聞きながら(この手のテープは結構ある)自分の友人のルオーの人がプッと笑ったりすると、ちくしょう!何が面白かたんだろう!?って思ってしまう。

一つのンゴマを修めるというのは、こういった所までカバーしなければ絶対に嘘だし、だからこそ僕はギリアマ、ルイヤ、ガンダの3つにとどめているのだ。本当はこれでも多すぎるくらいなのだ。あ?、自分の才能が恨めしい。

どうして8本弦なのか? 左右4本ずつ弾くのは何故か?
これは前にも説明したが、ルオーの人達の生命の誕生と生命の終わり(つまり生と死ね)の始めと終わりの4日間ずつというのは特別な意味があるらしい。だから左右4本ずつを別けて弾くのだそうだ。そしてこの弦も今はただのひもや、ナイロン弦などが使われているが、昔は牛の足のアキレス腱の腱をよじって使っていたらしい。
いつの日か、モノホンのニャティティを手に入れ、しかるべき日本の若者に手渡したいもんだ。僕にはその財産を受け継ぐだけの余裕はないだろうからなぁ。

さて、その8弦の音色もかなり通る音で、美しく、調律もドレミに犯された僕らの耳には時としてかなりまか不思議なメロディー、ハーモニーを作り出す。又、僕は5〜6人くらいしか実際にニャティティのンゴマをやっている所を観た事はないのだが、圧倒的、絶対的にニャティティはナマで見るのが良い!
僕が観たニャティティの奏者は皆全て凄い唄声を持っている。その迫力はテープじゃ表現し切れないものを持っているのだ。
何なのだろう?長い間文字を持たなかった人達にとってもの肉声には又、それを使って語られ、歌われる言葉にはとてもじゃないけど、文字では伝え切れない何かがあるのだ。
とにかく、このニャティティはちょっと初心者には難しいらしく、買って帰る人はいても、マスターして帰る人はまだいないようだ。前にジャシーの学生の女の子が、マーシャに紹介してもらったランガタの方に住む、ムゼーのプロフェッサーオジョワン・アニュラ(Prof. Ojwang Anyura)の所までせっせと通い、ニャティティを習っていたが、どうなったのだろう?マスター出来たのだろうか? 小型の格好良いニャティティを持っていたなぁ。
それにしても、どうしてニャティティ奏者は皆自分の名前の前に、ドクターとか、プロフェッサーとか付けるのだろう? やはり、ニャティティ奏者は呪術医的な役割を古くから背負っていたのか? 又、西アフリカのコラを奏でる人達のように、一種の歴史の語り人のような役割だったのか? うーん、不思議だ。

次にこのニャティティの横でよく叩かれるオハングラという太鼓は、トカゲ(ブルケンゲ)の皮を張ったものだ。ケニア西部では他に、スクティやシリリ、ウガンダのンガラビなど、このトカゲの皮を張った楽器が多くある。よくパイソン(ニシキヘビ)などの蛇皮と勘違いする人もいるけど、蛇側は荒くて手を切ってしまうよ! トカゲの皮が一番よいのだ。
このオハングラ、長さは50〜60cmくらいか、型はウガンダのンガラビの型によく似ているが、短く、もっとコンパクトだ。これを木の細いくいで止めて、その上からゴム(現在は自転車のチューブ)でぐるぐる巻にして皮がずれないようにする。これを利き手と反対側の脇に抱えて叩くのだが、この時手首のスナップがとても重要になってくるので、この叩き方にまず戸惑う人が多いはずだ。特に、右利きの場合、左脇に抱え、左手のスナップが思うように使えないと思う。只、このスナップさえ覚えてしまえば、リズム的には、ンガラビ、スクティ程難しいものではなく、あくまでも伴奏で、複雑なソロをとるようなものではないので、ちょっと上手な人ならすぐものにできると思う。
まずはとにかくニャティティだ!!誰かマスターした、またはこれからマスターする人はいないか? いたら、モノホン極上品のニャティティをプレゼントするし、僕がオハングラの伴奏をしよう。どうだ? どうだ? 誰かいないか??

そしてニャティティと並んでポピュラーなのが、オルトゥというンゴマで、1弦のバイオリンのような楽器と、大小いくつもの両面太鼓を直に地面に並べて、2本の棒で叩く太鼓と、トライアングルのようにオープンとミュートでサスティーンを自由に使い分ける金物等で行われる。ナイロビにあるグループの多くは、この大小の太鼓をまるでドラム・セットのようにしてメインで使っている。その上にDjembeのような物が乗るといった感じだ。
これだとさ、ちょっとワンパターンになっちゃうんだよね。まぁイディみたいになるが、叩けばセンゲチャやゴンダなんからネタをもってきて、混ぜて使うから、バラエティがでてくるのだけれど……。あっワカケも上手か! でも2人共はやはり他のンゴマも相当上手なのよ。だから、何か色々な物を混ぜて新しい物を作る時には、まずそれぞれのウタムをよく理解する。(それぞれ各種のンゴマの違い、良さ、特徴に精通する)ことが絶対的条件なんではないかい? それプラスそれ等を上手くアレンジできるセンスがないと、ワケわかんないものしか出来ないよなあ――と思う。

まぁ、僕のみた所、実際のオルトゥでは、まず金物のパターンと、太鼓のリズムの重なり方がポイントだと思う。又、それに時として踊子の持つクラバスのシェイクするリズム、それ等の上で一弦バイオリンが唄と一緒に、又は掛け合いをしながらメロディーを奏でる。これがこのンゴマのウタムだ。
日本でDrumsを叩いている人も、これは割とアプローチし易いとおもう。バスドラ、ハイハット無し、シンバル無しで、タムばっかりダーッと並べて叩くようなものだから、又、器用な人はハイハットで金物のパターンを片足だけでやりながら、後の3本(右足も)使ってより一層複雑なオルトゥのパターンを叩く、なんていうのはどうか? これはバチ(ただの棒だけど)を使う太鼓なので、現役のドラマーさんや、元ドラムをやっていたという人には入りやすいと思います。まぁ、僕はあの金物が重要だと思うけれど・・・。

最後はカラチョーニ(正しくはカラチョ?ニョかな?)だ。このリズムは割と簡単で、応用も効くので、マーシャもよく自分の学生に教えていたし、ブルーノも、ワカケも、カボゲだって大体のナショナル・シアターで太鼓を教えている人間はなんらかの形で、このカラチョーニやスワヒリのチャカチャなどを教えていると思う。
「ドンツカカツクカカツドンドンツクドンツカカカカカカツドンドンツク」
といった感じのパターンだ。基本的には。(太字が叩く所、あとは休み)これをアレンジして色々なフィルを入れる。
しかし、実際には、先のリズム・パターンのドの所を厚さ15〜25cmぐらい、直径50〜60cmぐらいの円い両面太鼓を鼓笛隊の大太鼓の様にして叩くだけで(もちろん多少シンコペイトさせたりするけれども)又、オハングラや金物や何かでその間に色々入れるかも知れないが、基本的にはこれだけで、これに無数の唄が乗っかるらしい。去年、2つだけオモシに唄を教わり、ショーで使わせてもらった。名前は知らないが、Djembeにも基本的にこれと同じリズムがあるので、この2つは上手く混ざりあうと思う。(只Djembeの場合は、他のケンケニや、ジュンジュン等のパターンの絡み方が色々あるだろうけど、まあ、それは大した問題じゃない)

とにかく、このカラチョーニは、2、4の大きなノリで叩けるので、日本人にもとっつき易いリズムだな。
ただし、2、4のリズムも簡単にいえば、リズムがおじぎしたり、点で止まったりしないようにしないとダメなんだけどさ! 分かるかな? わかんねぇだろうな・・・。




<続編13>

ンゴマとの正しい出合い方。
そして、
キシーの人達のンゴマ。オボカノ(又はオブカノ(OBukano)だ!!

(2002/07/15)

前回話したルオーのンゴマだが、まず、彼等のホームタウンはビクトリア湖周辺のキスムの辺りだ。だけど、キスムの街中を捜しても、ニャティティ、オルトゥ、オハングラ等のンゴマに出会う事ってまずない。
しかし、前にも言ったように、ニャティティはケニア全土で多分一番有名な弦楽器なので、まずナイロビでそのニャティティの奏者を見つけよう。そして、そこからお目当てのンゴマにたどり着くようにすれば、8割方上手くいくんじゃないかな?
ナショナル・シアターにもルオー出身の踊り手、歌い手なんかが結構いるし、ニャティティの奏者も、先のプロフェッサー・オジョワン・アニュラや、アフリカンヘリテージに出演している、タフィ・ケニア(TAFFI KENYA)にもいるし、ここのリーダーのチャロ・オウコに聞いても良いし、そこには他に背の高い、ルオーとルイヤのハーフのやつもいるし、又、ボーマスにもいるし、シェード・ホテルにも凄く上手な人がいた。
もちろん、マーシャやイディ、クイチャ達に相談しても、色々紹介してくれると思うよ。それに、ナイロビ在住のミュージシャンIさんも、このルオーのンゴマにtっすいては少しは知っているんじゃないかな?

ここで大切なのは、まず自分でできる限り充分下調べして、自分の目と耳、全てを使って、最高の師匠に巡り会う事だ。
事前に120%下調べもせず、何でも他人まかせにして、人を信用するのは、無責任なだけだ。そんな人は絶対無責任な奴しか寄ってこないよ、もちろん。ンゴマの世界を旅する事なんて絶対的にできないだろうと思う。

だけど、あなたがもし素晴らしい師匠にめぐり逢い、一生懸命練習して、その師匠のンゴマを正しく受け継いだら、自然と人が人を呼び、不思議な縁と縁がつながり、もうナイロビに居てもキスムに居ても、何も変わらないよ。全部OK OK!全然大丈夫。僕も知らない、ルオーのモノホンのンゴマの世界を旅する人になるんだろう。観光客では行く事の出来ない村や、数々の腕の立つムピカジ(※打楽器奏者)、ムチェザジ(※踊り手・演奏者)、ムインバジ(※歌い手)達、ルオーの伝説(口承における)そして、本物のルオーのンゴマのウタムが楽しめる初めての日本人(外国人)となるのだろう。
是非その時は、僕にもその話、その見て来た事、受け継いだもの、教えて欲しいなぁ。

さて、次はキシーの人達のンゴマ<オボカノ>(又は、オブカノ OBukano)だ!!
キシーの人達は文字通りキシー周辺に住んでいるのだが、このキシーの街を訪れる観光客ってほとんど聞いた事がないなぁ。ソープストーンのとれる土地だと言う事ぐらいは知っていてもわざわざ立ち寄る人ってほとんどいないと思う。
だけど実はジャシーに居た時僕が初めて同期の内山君とサファリした場所がこのキシーなのだ!!本当に地味で、何もぱっとした所がないけど(先輩達にも、うーん、渋いよ、その選択は!と言われたし)緑の大変キレイな所で、野菜、果実のとても新鮮で、美味しい所だったのだ。とうもろこしなんて、生で食べても甘いのだよ!

そしてキシーは「オボカノ」というしぶ〜いンゴマがあったのだ!!!

初めてそのオボカノの名前を聞いたのは、やっぱりマーシャからだった。確か、ニャティティの話をしていて、ケニアの他の弦楽器の話にうつった時、マーシャが「キシーには物凄く大きくて、低音のびんびん響く、オボカノと言うのがあるんだぞ!タワラも観たら絶対気に入るはずだ!どうして日本人はニャティティだけしか知らないんだ?」と言っていて、僕はとても興味を持った。
次に、生で見たのがボーマスだったかな?「本日のメニュー」を見てみると、あった!!オボカノの文字が!!期待に胸をふくらませてたら、いや〜デカイことデカイこと。
ニャティティの2倍はかる〜くある巨大なニャティティのような(?)楽器が出て来た!これがギジーギジーと凄い音なんだ!決してニャティティのような通る音ではないけど。ギジーギジーと、凄いなんかの鳴き声のような音がするのだ!!いやー、一発で参っちゃった。僕は大好きだよ。オボカノ!(もちろんニャティティもね!)

次の休日、僕は一日中ナイロビのリバーロード周辺を歩き回って、なんとか一本のオボカノのカセットテープを手に入れた!!

*実は、ニャティティ、オハングラ、オルトゥ、スクティ、キクユの各種唄、カンバの小ばなし等、かなり、かな〜りマニアックなカセットは、リバーロードのそのスジの店をしらみつぶしに捜すとあるのだよ!質もまるでC.パーカーのブートシグのようなひどさだが、その価値の分かる人間には(特に外国人=非ネイティブ)宝の山なのだ!!
だけど!!これらの店のありかや、捜し方は教えてあげない!! 知りたい人は俺の所に手土産と一緒に聞きにきな!
言っておくけど、これらはベルサーチの服着て、ウガンダの太鼓修行だかなんだかにテレビと一緒に行って来た某親子や、お友達のDr.Kさん、千晶さん、蔦田さんだって無理だと思うよ!
今はその手のカセットは全部吉祥寺の若林さんに渡しちゃった。
あげちゃってもいいと思っている各種ニャティティ、オルトゥ、オハングラ、オボカノのテープ。価値の分からないやつに譲っても猫に小判だしな。

さて、やっと手に入れたテープの一曲目は、ボーマスでやっていた曲だった。うーん。かっこいい!ニャティティのように、シャンシャン、カチカチ、リズムを刻む音がするわけじゃないのに、このギジ〜ギジ〜と凄い音!まるでギリアマのンゴマ・ヤ・ペポのように、あちら側の世界に連れていかれそうになるンゴマだ!!

型はねぇ、見た所ニャティティとあんまり変わらないかな?弦も8本だったと思う。
とてもモノホンと呼べる質の物じゃないけど、品川にある民族楽器屋さんにオボカノらしきものがあった。

*このお店の御主人さん奥様共に良い人でした。東アフリカの楽器について言えば、まともな質の物を置いている店なんて、日本全国ひと〜つもないのだから、仕方がない!!だけど、他の地方の楽器は沢山あったし、何より、東京ナントカとか、浅草の店とか中華街の店とかは……イマイチだった中で、唯一話の分ってもらえる御店主さんでした。。。

是非、日本で、ト・ラ・ン・スとか言っているアマチャンのミュージシャン諸君にチャレンジしてもらいたいな。モノホンのト・ラ・ン・スの為のトランスフォーマーになってもらいたいもんだね。でも、冗談抜きで、このオボカノやニャティティをループでひろって、それに……、Djembeじゃダメだな。合わない。そうだ!バックにサバールの大勢のアンサンブル鳴らして、それと各種のベルガーナのとかを鳴らして、その上をタマ(セネガル・ウオルフ族のトーキングドラム)の代わりに、ヨルバのイヤイル、カナンゴ(元祖、トーキングドラム)が自由にのっかるようなのが出来たら、もろ腰にきてキモチヨイと思うけど――。2、4のどっこいしょ!のおじぎのリズムに慣れ親しんできた日本人にはちょっと難しいかな……。

でも、この2つの弦楽器は、充分日本でも受け入れられると思うよ。特に、今のクラブの人達には。たとえ皆が皆、どっこいしょだとしてもさ・・・。

ただし、ルオーのニャティティとかと違って、このキシーのオボカノはちょっとアプローチに苦労するかも知れない。
一応マーシャに名前だけ教えてもらった、オニョニ・サカワ氏(Onyoni Sakawa)を記しておくけれど、これがあのボーマスの人なのか現時点では良く分からない。
又、ナイロビで、キシーの人ってルオー程多くないし――。オボカノやるんだったら、キシーの言葉もやっぱりマスターしなけりゃいけないわけで――。僕だって「ビヤオレ」とか、「ニング ワンジエテ」ぐらいしか知らないし。現地の宿にも少しルオーのキムスより苦労するかなぁ……。
でも!!野菜、果実がとんでもなく美味しいよ!あっそうそう、螢も見られるよ!!
緑の美しい地だから、皆もきっと好きになると思う。でも、呪術的世界が色濃く残っているから気を付けてね。

是非、このシブーイ、キシイのオボカノ(obukano)にチャレンジする人待ってます!!
じゃあ、次はルイヤ(Luhya)のンゴマかな!?

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