サファリの手帖     <ンゴマについて>  
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ンゴマについて

続編<14> @,A&B

<続編14>@ ルイヤ族のンゴマ「スクティ」 〜音が出ない!〜 (2002/07/22) 
<続編14>A ルイヤ族のンゴマ 「スクティ」 〜その後〜 (2002/07/24)
<続編14>B ルイヤ族のンゴマ 「スクティ」 〜Bomas of Kenayaで泊り込みレッスン〜 (2002/08/01)
<続編14>C ルイヤ族のンゴマ「スクティ」 ネイティブと非ネイティブの間には……? (2002/11/01)

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<続編14> @

ルイヤ族のンゴマ <スクティ>
「△○×!? 音がでない!!!」

(2002/07/22)

さて! やってきましたルイヤ(Luhya)のンゴマです!!
前に話した通り、僕はギリアマのンゴマをベースにこのルイヤのンゴマも真面目に学んでいるので――。できるだけ詳しく話させてもらいます。

ルイヤの人達はケニア西部の<カカメガ>という所を中心にかなり広範囲に住んでいて、そのサブ・トライブは多種多様であり、同じ民族の中でお互いに言葉が通じないこともある程。それで、「一体ルイヤ語というのはどれを指すのか?」なんていう冗談も言われるぐらいだ。
これはンゴマについても同じで、僕が学んでいる「スクティ(sikuti)」。 これは、ケニアでも特に有名な打楽器中心のンゴマなのだが、数あるルイヤのサブ・トライブの中で、「イダホ」「イスハ」「ティリキ」の人達だけのモノなのだ。
もちろん他のサブ・トライブには他の種のンゴマが存在するし、又、このスクティが非常に有名なンゴマなので、多分その周辺の人達は強く影響を受けているのだろう。

しかし、今回は僕の学んでいるスクティ。これを中心に話を進めていきたい。

この「スクティ」というンゴマはとても有名なので、学生の頃から、車の荷台やらにのって太鼓を叩き、歌を歌っていく集団等と共に、何度か見たことがあったのだろう。

しかし、初めてその太鼓だけをゆっくり見たのは、2度目にケニアへ渡った時のことだったと思う。その頃、ジャシーでK君から日本語を学んでいたインゴシ君に見せてもらったのだ。当時、ブルーノが自分のグループで何やら、長い怪しげな太鼓を叩いていた。その太鼓はヘビの様な皮が張ってあり、(当時、僕は蛇もトカゲも皮では区別がつかなかった)彼はそれをムソンドと呼んでいた。(実はそれはムソンドではなく、スクティでさえも無く、ガンダ族のンガラビだった)

まぁ、僕の知識も無いに等しいくらいだったので、僕が売ってもらった太鼓はムソンドどころか、ほとんどチュカの太鼓だったし、マーシャも、ナンカサをいくつも並べ、センゲニャの様に叩いていたし、確かに、各民族楽器の呼び方も使い方もメチャクチャだったけれど、全て100%東アフリカの生のもの。今思えば、いい時代だったなぁ――。何故こんなに(現在のように)おかしくなってしまったんだろう?

ちょっと話がずれてしまったが。
とにかく、僕はそのブルーノの叩いていた太鼓に興味を持ったわけだ。彼のスタイルは当時から相変わらずのスパン!スパン!と、そりゃー迫力のあるストレートな太鼓を叩いていた。
するとある日、先のインゴシ君が「あの太鼓はあんなふうに叩くものじゃない! 奴等(ミジケンダの人)は太鼓をバカバカブッ叩く事しか出来ない。でも本当はもっと違う風に叩く太鼓もあるんだよ。よかったら見に来ないかい?」と、彼の父親の出入りする事務所へ連れていってもらい、その「もっと違う風」の太鼓を叩いてみせてもらった。

それは彼の言う通り、ブルーノ達に較べ、はるかにソフトなタッチで指の動きを多用した叩き方だった。しかし、今思えばこの太鼓もンガラビか何かで、本来のスクティの音からは程遠く、僕はただ「変わった叩き方だなぁ……」と思っただけだった。

つまり、この後、本物のスクティに出会うまで、まだ4年程経たなければならなかったわけだ。

98年からマーシャにギリアマのンゴマを学び始めると、次々と色々な事が起こるわけだが、マーシャ自身およそケニアの打楽器はほとんど出来るんじゃなかったかしらん?と思うぐらい何でも出来るので、週末のレッスンはいつも色々な種類のンゴマについても紹介してもらった(もちろん、ベースはギリアマのンゴマ)。
スクティについても色々説明してもらった。しかし、肝心のスクティの太鼓を僕が持っていないので、リズムや、アンサンブルについて軽く教えてもらう程度だった。

楽器でも本物のスクティを見たのはインゴシ君が初めてだったと思う。彼と彼の父親がナイロビ大学の構内で何かのイベントの客寄せみたいに、スクティとシリリをやっていたのだった!! インゴシ君はJr.で、本物のインゴシ!!は彼の父親だったのだ。
この人はシリリという楽器の名手で、かなり有名な人なのだ。シリリというのは、ルオー族のオルトゥの様に1本弦のバイオリンのような楽器だ。
僕にはこの2つの区別がつかない程、良く似ているが、只、インゴシ氏のシリリの皮は蛇かトカゲの皮を使ってあり、僕の知るオルトゥは全て獣の皮だった。

片足首に、ヴィフリという足鈴のような物をつけ、これを使って、スクティ特有のリズムを刻みながら、シリリを弾き、歌い、踊るのだ。その動きの巧妙な事!! どこへでも自由に、気持ちよさそ〜に踊りながら、自ら奏でるンゴマと共に行ってしまう。
カッコイイ!! その後ろを、父親の唄にこたえながら、これまた踊り叩いていたのが、やっと出会えた!!スクティだった。

彼等の演奏が終わり、インゴシJr.と久々の再会を喜び、彼の父インゴシ氏に紹介してもらった。一応自己紹介をするが話が噛み合わないので、早足でインゴシJr.にスクティを教わる。(尚、インゴシ氏は今も僕の顔と名前を覚えてくれない――)
ルオーのオハングラのように、利き腕の逆の脇に太鼓を挟んで叩くのだけれど、まぁ、僕の場合、右利きだから左脇に抱えるんだよね。そうすると、右手はよし! それっぽく動くようになってきた! しかし、左手が――。肘で太鼓を固定している為に、左は完全に手首のスナップだけになる。このスナップだけで音を出すのが、すごく難しい。オレってこんなに不器用だったかな?と思うぐらい左手が動かない。インゴシJr.はもう軽ーくふんふん叩いているのだけれど――。どうも肘を固定して、左手首のスナップだけで叩くという事が上手に出来ずに課題が残った。

あくる日、ナショナル・シアターでその事をマーシャに告げると、その辺にあった太鼓を使ってその左手のレッスンをしてくれた。これは当時同じグループだったゴードン(ルオー族)も一緒に見てくれて、オハングラの時、スクティの時、と教えてくれたが、使った太鼓が太鼓だったのでその違いは良く分からず、まぁ、左手が少しはマシになったかな?といった所で切り上げ、帰る途中、又、ナイロビ大学の芝生の広がった場所で若い男女がスクティの練習をしていた。そこで叩いていた男の人が、また上手かった!! もうブルン!ブルン!いわして太鼓が鳴りまくっていた。
僕が興奮して騒いでいると、マーシャがやれやれと言った表情で、「タワラはそんなにスクティが気にいったのか? まぁ、あの男はなかなかやるけれども、じゃあ、もっと極め付けの凄いスクティ叩きを紹介してやるから、スクティを用意しな」と言う。
「どこか、誰か、つてはある?」と聞くと、
「あるけれども、ナイロビじゃ太鼓も何でも高いからな――。タワラはカカメガヘ行った事があるんだろう? 現地で買ったほうが、安くて物もいいよ。もうそれぐらい分かるよなぁ?」と言われ、
「そうだそうだ、次の休み(長期)にカカメガへ行ってこようかしら? でも、まだ後2ヵ月も先だしなぁ――。待てないなぁ――。ギリアマ以外に色気を出して、マーシャはあんまり気が乗らなそうだし……。う〜ん、困ったなぁ」
とつぶやきながら、その日は家へ帰った。

うちの学校(ジャシー)の昼のアスカリ(門番)で、ジョセフというキクユの男の子がいる。彼もンゴマが好きで、休みの日、僕等がンゴマを叩いているとやってきて見学から実際に叩くようになり、僕も毎回マリンディの方へ修行に行って帰ってくると、その出来事を彼に話してあげ、彼も彼で興味深そうに聞いているといった感じで、仲良くしていた。何より、彼はンゴマのムピカジ達に敬意を持って接してくれるので、僕の友人達(先生達)からも好かれていた。

僕はよく昼の授業が終わり夜の授業が始まる前の夕方、学校の門の前に座り、ジョセフとバカな話をして盛上がったりするのだが、その時、向いの建物のアスカリでフェニックスという男もよく一緒になって話をしていた。
たとえば――、
      俵「あの女はどうだ?」
  フェニックス「だめだ、あんなに細いと、夜俺が寒くて死んじまうよ」
俵 「じゃあ、あれはどうだ? プルンプルンしているぞ!!」
二人 「ダメだよ。足首見てごらん。あれじゃあ、きっとマジマジだぞ」
俵 「あっ!そういえばそうだなぁ。おっ!スゲーいい女じゃないかあれ!!」
二人 「ダメだよ。トシをとり過ぎている。あれじゃあ、どう見ても俺達より年上だぜ?」
俵 「バカヤロー!歳なんて関係あるか!?見てみろよ!ありゃー絶対カヴカヴのいい女だぜ!」
二人 「ダメだね! それよりあの娘なんかいいんじゃないか?」
俵 「ん?…… バカヤロー! まだ子供じゃねーか!」
なんて風に。
そこでたまたま、
俵 「俺さー、今スクティやりたいんだけど、カンジンのそのスクティがなかなか手に入らなくてさー」
ジョセフ 「あれ? タワラはゴンダじゃないのか?」
俵 「そりゃーそうだけど、スクティにもちょっとね――。興味があるんだぁ。でも今回はマーシャにあんまし頼りたくないし――。」
フェニックス「なになになに〜!? 俺にまかせてちょうだいよ! 俺はカカメガの人間だぜ。丁度、来週クニヘ帰る予定だったけど足代がなくて困っていたんだ! 足代助けてくれたら、良いスクティを買ってきてやるし、なんなら俺が叩き方も教えてやるぜ?」
俵 「あっ!そうか。フェニックスがいた! でも本当に買ってきてくれるの〜?スッゲェ良いやつじゃないとダメだぜ?」
フェックス「まかせなさい!! マジで良いやつを買ってきてやるよ! もし俺がスクティ叩くのを見たら、タワラは絶対ビビるぜ!」
俵 「よ〜し! そこまでいうなら頼もうじゃないか! でももしダマしたらお前、張り倒すぞ!!」
フェニックス「だ〜いじょうぶだって!! ヤッホー! これで何とか来週帰れるぞ〜!!」
と大喜びのフェニックスを横目に、
俵 「ジョセフ、こいつ信用できるのかなぁ?」
と訊くと、
ジョセフ 「……ラブダ(※スワヒリ語で「多分」の意)。」
と、言われた。

ちょっと安易で、でき過ぎているなと思いながらも、まっいいかぁ、と、結局彼(フェニックス)にスクティのゲットを頼んでしまった――!! 
僕は彼に約束の金を渡し、彼は無事に自分の村へ帰れたのだが――。

その後どうなったか?というと、フェニックスはちゃ〜んとスクティをゲットして来てくれました!

皮はトカゲではなく、獣の皮を使っていたけれど、とにかく無事スクティは僕の元へやってきた。
ボディーの調子もまずまずだった。ただ、皮のズレを止めるべく巻かれているゴムチューブのベルトに釘がバンバン打ち付けられていた為これを外し、胴(ボディー)全体のダサイペイントをはがし、軽く彫刻刀でデザインし、ニスで仕上げると、何と!! 素晴らしい僕のスクティが出来上がった。
そして、肩から下げる為に付いていたヒモも外し、僕の無知の為に洗濯機の中で文字通りヒモになってしまったお気に入りの元ネクタイを付けて、完璧な、正に完璧な僕のスクティ1号が生まれた! と思った。
――のだが、ここでふと気付いた。
「何で、僕のスクティはこんなにずんぐりむっくりなんだろう?」
確か、初めて見て触ったインゴシJr.のスクティは、口先の少し短いワインボトルのように割と長い形だったのだが、この僕のスクティは穴の辺りがキュッとすぼまっているのは同じだが、インゴシJr.のスクティと較べるとあんまりにもずんぐりむっくりで、横から見ると、漫画の鯨みたいにおよそスマートではなく、これを抱えていると思わず、ハトヤー!!のCMを思い出してしまう程、魚チックな形をしていた。(ローカルなネタでごめんなさい。)
僕はどうしてもインゴシJr.が使っていたスクティが欲しくなって、彼に交渉してみた。
それは彼にとってもお気に入りのようで、交渉はナカナカ成立しなかった――。そこでひらめいた!!
「ねぇねぇ、俺の持っているあのピンクのゾウさんエレキギターと取り替えようか?」
しばらく考えた末、彼はOKを出し、交渉成立! 彼のスクティは僕の手元に渡った。

ちなみに、このピンクのゾウさんギターは僕が日本を出発する時、手元が寂しいだろうと、勤めていた横浜の天王町にある「スタジオ・オリーブ」の店長が僕に渡してくれたピンク色のスピーカー内臓ゾウ型エレキギターだ。
帰国後店長にギターの行方を聞かれ、正直に話すと、
「おまえは――。そうやって人のプレゼントを勝手に自分の為に利用して、俺の頼んでいたヨヒンビンも捜してこないで――。しかも、そうやって手に入れた太鼓は惚れた女にあげちまっただとー!! お前ってやつは――。」と言われてしまった。すみません店長。でも、きっと店長のギターはボロボロになってもケニアで使われていくだろうし、取り替えた太鼓は、彼女がきっと大切に持っていてくれると思います――。ずっと――。又、ずっと迷惑ばかりかけてきた僕ですが、きっと次にはヨヒンビン、又はそれと同等のブツを捜してきます。それで許して下さい。

さて、それからある日曜の午後、マーシャとギリアマのンゴマの練習が終わってから、ジャジャーンとその2つのスクティを持ってきて、彼に叩いてもらった。確かその時は、ガラマも一緒だったはずだ。そして、ガラマがチャプオを使い、スクティの基本のリズムを叩き歌い始めると、マーシャがそれに合わせてフェニックスが捜してきたスクティを叩きだした!!
そうそう!! これこれ! と思い出しながらしばらく聴いていると、僕のレッスンが始まった。
まだ、相変わらず左手が不器用だったが、このマーシャに習ったスクティのレッスンも何日かするうち、だいぶマシになってきた。(もうフェニックスより断然上手になっていったのさ)
そして、マーシャもやっと前に言っていた"ブッ飛び"のスクティ叩きを僕に紹介してくれる事となった。
多分、僕の気持ちが中途半端にフラフラするのを危具してくれていたんだろうな。
もちろん、ギリアマのンゴマが僕のベースだし、その上、スクティ、又、ガンダ族のンゴマも真剣だし、元々、広くケニア・東アフリカの本物のンゴマを僕が観て、感じて、挑戦する事に対して彼は大賛成で、いつでも助けてくれていたのだから、当たり前か?

そのブッ飛びのスクティ叩きはボーマス・オブ・ケニアに居るそうだ。
マーシャ 「タワラの知っているインゴシ親子。彼等はティリキの人間で、オヤジの方は、シリリは凄いけど、タワラのやりたいのは太鼓の方だろう? それだったら、これから会いに行くムイタロ・アルクェが一番凄いよ。もう今までのスクティのイメージがブッ壊れるぐらい、ブルンブルン凄い音で叩きまくるからな。俺は、アルクェの叩くマタンガやなんかのゆっくりとしたスクティが大好きなんだ。アルクェはイダホの人間で、俺の叩くゴンダと同じく、彼の叩くスクティは本物のスクティなんだよ。又、彼を始め、ルイヤやルオーのムゼー達は酒好きが多いいから、同じく酒好きのタワラは楽しく教えてもらえるだろう――」

さて、ボーマスに着くと、当日のショーのプログラムも終盤にさしかかってきていた。
マーシャに連れられて僕とK君は建物の裏側にある控え室のような所へ行く。そこでしばらく3人で待っていると、ギョッ!!とした血走った目がちょっと怖いオヤジが入ってきた。
マーシャ 「紹介しよう。この人が、ムイタロ・アルクェ氏だ。」
お互いに自己紹介を済ませ、マーシャがいつものやつを見せてやってくれよと頼むと、アルクェはいやぁ〜と笑いながら始めた。
「ンキキンキキンキキンン!!――これがチュマ! ンペケンペケンペケン――! これが子供! チュマと同じリズムだ。 ンペケンペケンペケン――。そしてペンベ! ムバプルルル〜ラブルル〜! するとお母さんが怒る。ティンッティン! ティキティンティキティン――! それをお父さんがたしなめる。ンプッンプッ!ンブクトゥンブクトゥン!!――」

いや〜、凄い凄い!! 止まらない止まらない!! 元々ギョロッと血走った目を更にギョロッと血走らせて、スクティの全てを口太鼓で観せてくれた。いや、魅せてくれたのか!?  とにかく、僕等は圧倒された! この口太鼓だけで本当は充分だったのだろうが、これが終わると、アルクェは2つのスクティを持ってきた。1つは大きくて、僕のクジラのような方のスクティそっくりで、もう1つはそれより1回り小さく、型はインゴシJrにゆずってもらったのに良く似ていた。
まず、マーシャが小さい方を叩き、スクティ特有のリズムを奏でる。するとその上にこれがまず基本だと言って、アルクェが大きい方を叩く。
その音のデカイこと! 本人はかる〜くかる〜く、下手をするとインゴシJrよりもずっとかる〜く叩いているのだが、その手首は柔らかく、芯のあるしっかりとした音を叩き出していく。
マーシャは「どうだい?」といった感じで笑っている。
さあ、次は僕の番だ! マーシャとの練習の成果!! ちょっとでもいい所を見せようと意気込んで、アルクェの叩いていた方を叩く! と、「なんじゃあ! こりゃ!!」グルケンゲ(※アフリカオオトカゲ)の皮を張ったその太鼓のヘッド(打面)は、もうベロンベロンのグニョングニョンで、音なんか出やしない!!
「!?△◯×!?」
必死になって叩くが、全然鳴ってくれない!――。
これにはマーシャも苦笑い。アルクェは煙草をくわえながら、どれ、貸してみな? と、もう一度叩いてみせる。すると、ブグトゥンブグトゥン!! また凄い音が出る。ほら? と又渡されて僕が叩くと、ポニョンポニョン――と、蚊の鳴くような、なんとも情けない音しかでない。

あのね、リズムはそんなに難しくないのよ! 手順も! タイミングもアルクェがキューを出してくれるし、僕ものれるから、まぁ――OKだ。問題の音が――!? 全然でない! ウチで練習している時の半分も出ないのよ! おかしいおかしいなぁ――と思いながら、何だかとても恥ずかしくて、悲しくなっちゃいそうになりながら叩いていると、どれ?貸してみな?とマーシャと交代。おっ!と、彼も手こずっている。マーシャは一応音が出るし、これがスクティと言われればそういった音なのだが、それでもアルクェの叩き出す音は段違いだった。

もうホント、ヘッドがグニョングニョンのベロンベロンで、ゴムみたいなのよ。とにかく、その日はリズムやアンサンブルもクソも無く、音の出し方で終わってしまった。
最後にはちょっとだけ、ほんのちょっとだけマシになったかな?と思えるぐらいにはなったけど、そんなの目くそ鼻くそだぜ――と言われたら、はい、そうです、と答えなければならないぐらいの程度だった。まあ、この次に来る時は、自分のスクティでも持っておいでと言われ、その日はウチへ帰った。

途中、マーシャは「あれが本物のスクティだ。まぁ、あんまり気落ちせず頑張れよ!」とか、気を使ってくれるし――。

K君は、「いやぁ、凄かったね! あのマーシャの音よりも全然でかいんだから!! いやぁ、凄かった! 悪いけど、俵さんの音なんか全然聞こえなかったよ! あれが本物のスクティかぁ――。まっ!いい先生が見つかってよかったじゃん!? 大変だろうけど、頑張ってね!」とか言いやがって、僕も一緒に、「うん! 凄かったなぁ、あれが本物のスクティかぁ――。」なんて言っていたけど、心の中は「チクショ〜!! くやし〜!! こうなったらゼッタイマスターして皆を見返してやる!!」と、恥ずかしさと悔しさ、そして何だか分からない理不尽な怒りで、ハラワタが煮えくり返っていたのだった。

よし!! まずは音の出し方だ!! チッキショー!!

つづく。

<続編14> A

ルイヤ族のンゴマ <スクティ>
スクティで使われる主な楽器とレッスンのその後

(2002/07/24)

「スクティ」で使われる主な楽器はまず、大中小と3種類の太鼓があり<イスクティ> <ムティティ・ムハリ> <ムティティ・ムサザ>と呼ばれ、一般的には順に、お父さん、お母さん、子供とも呼ばれている。全て、ブルケンゲと呼ばれるトカゲの皮を使用し、型、又は基本的構造はみなほぼ同じで、サイズだけが異なる。
<イスクティ>が大体、長さ60cm〜70cm、打面と胴が少々デップリとして、後ろの音の抜け穴の所がキュッとすぼまっていて、横から見ると太めの一升瓶みたいだ。皮は、ムションドに較べるとやや大きめ(鉛筆程)の木で止めてあり(打ち付け)、その上をゴム・チューブ等で皮ずれ防止をしている。これが、お父さん。
<ムティティ・ムハリ>はそれより一回り小さく、丁度一升瓶を少し大きくした感じだ。これが、お母さん。
<ムティティ・ムサザ>はさらに小さく、長さ20cm〜30cm程度、打面の直径も10cm程だ。これが、子供。
他に<ヴィシリ>という丸い金属(これはトライアングルのように使う)と、踊子が足につける足鈴<ヴィフリ>等がある。

まずヴィシリが基本となるテンポ&リズムを作る。
これは3連のケツ抜きだ。と言っても分からない人もいるだろうから、<ミカンミカン――>のミカを叩き、ンが休符となる。これがスクティの基本だ。
これに寄り添うようにしてかん高い音のムサザが同じリズムを叩き、スクティのベースが出来上がる。その上をムハリがやはりやや高めの音ではやしたてるようにフィールを叩いたり、ヴィジリ等とシンクロしたり、ねじれるように「ミカン」の上に「カントンカントン・・・」(カとトの部分を叩く)とリズムを刻んだりする。
そしてムハリとまるで話しをするように、イスクティが「ブルンブルン」とその独特の低音を響かせるのだ。
基本的にイスクティは全て「ミカンミカン」の上で、それぞれ3種の太鼓がコール&レスポンスの要領で自由にインプロバイズし合うわけだが、実際にはこれらに唄、踊子のステップ等も一緒に影響し合う。
ゴンダのようなキメはほとんどなく、即興的要素が強い為、出来・不出来は奏者の腕による所が大きい。

ルイヤの中でも、イスハ、ティリキ、イダホと、この3つのサブトライブの人達がこのンゴマのオリジナルで、彼等は豊かな森に囲まれたカカメガ辺りに住んでいる。
ここには<カカメガフォレスト>という、森好き(?)には格好の穴場があり、沢山のハ虫類、昆虫類、鳥類等がいる。クロシロコロブスと呼ぶのか?そんな猿もいっぱいいて、踊子や奏者はこの猿の毛皮を身にまとう(獲っていいのかなぁ?)。 
一般的に、ンゴマはそれぞれの住んでいる環境にも強く影響を受け、例えばルオーの踊りはカエルみたいにピョンピョン跳ねたりするし、スクティはこの猿みたいに腰をかがめ、正面向きの欽チャン走りをしたりする。

テンポも早く、動きの激しい若者や、ショーアップされたスクティはまさにバネ!バネ!のカタマリといった感じで、見ている者も体が思わず「ミカンミカン」と動いてしまう。
又、僕は観た事がないのだが、マタンガ等の時に行われる、ムゼーのゆったりとしたテンポのスクティはタム・サーナなのだそうだ。(踊りもワナ テテメカ トゥ(※揺れているだけ)らしいが)

遅くなってしまったが、これが「スクティ」と呼ばれるンゴマの基本的な説明だ。

さて、ここでやっと前回の話の続きに戻るわけだが。――

御存知の通り、せっかくのマーシャとの準備もむなしく、全てのンゴマの基本中の基、初歩の初である「まともな音を出す」という所で玉砕し、大きな課題と共に家に帰った僕は、それから毎日学校にもスクティ持参で通い、ヒマを見付けてはこれを叩いた。
しかし、どこかの太鼓教室のように、ただ単に単発でまともな音を出すだけの練習程バカバカしく、くだらないものは無く、第一、それは僕のやり方では無いので、スクティで一番強力で、良く使われる語法の「ブンブンシャ」(ロール)を何日も練習した。
「ンブクトゥン ブクトゥン ブクトゥン!」

これが少しまともになってくると、簡単なリズムのパターンに移る。

さて、ここで肝心のイスクティ独特のあの「ンブルン」という音の秘密を語る時、まず、他の太鼓と大きく異なる点である<使用する皮>について話さなければならないだろう。

ルオーのオハングラ、ガンダのンガラビ、ルイヤのスクティと、みな全てブルケンゲと呼ばれる大きなトカゲの皮を使用しているわけだが――。このトカゲの皮の特徴をどう説明したらいいだろう?

一般的に他の太鼓に使われる動物の皮(ヤギ、牛、その他)と明らかにその質感が違い、ドラムセットに使うヘッドに近い。あれに適度な弾力を加えた感じかなぁ。
皮はどれもまず水にひたしてから張るのだけれど、Djembeのように乾いた後しばってテンションンをかけていくような物ではなく、ムションドやブンブンブのように打ち付けの場合、後で打面がベコベコにへたらないようにする為には張る時に結構テクが要る。
それは各種それぞれのテクがあるのだが、このブルケンゲの場合、張る時に片寄らないように、全体に適度なテンションをかけるだけで、かなりパンパンに張れる。

だから、ナイロビでも日本でも店に売られているベコベコの打面のトカゲ皮の太鼓は、かなりひどく手を抜いて作られたと言わざるをえない。
音の方は、派手で大きな音が出る。だから、オハングラ、ンガラビ、スクティ(母、子)などは、とても通る明るい音がする。しかも、Djembeのようにテンションをかけまくっているわけでは無いので、その感触は自然な弾力があり、手を痛めにくい。よって、打ち付けだけの張り方でも問題が無いのだ。
ここで、この皮を使ってDjembe等のしばってテンションを自由にかけていく張り方をしたらどうか?という疑問がでてくると思うが、試した事が無いので分からないが、多分破けてしまうだろうと思う。
まぁ、とにかく、先のオハングラ等は、パカン!と高い派手な明るい音が持ち味だからそのままでも問題は無いが、イスクティの場合、どうやってあの「ブルン!」という独特の低音が出るのだろう?
それにはいくつかの秘密がある。それは大きく別けて言うと、
1 イスクティの型状
2 その独特の叩き方
3 叩く前のちょっとした下準備   などだ。

まず1。胴や打面をやや幅広にして、音の抜け穴をグッとしぼった型にした事によって、その低音をより増幅させる。こういったやり方で低音をかせぐのはアフリカ以外にも東南アジアなど、色々な土地で行われているらしい。だから、この手の太鼓の最低音を出すには、打面の真ん中を手の平で叩く。もちろん、イスクティも打面の真ん中を叩くと、ドゥーンと豊かなベース音が出る。

次に2をとばして3。実は張る時、かなりブヨブヨに、ただ打面のたるみだけをとった状態で張っても、乾くとパン!となってしまうこのトカゲの皮。一体、どうやってあんな風にグニャグニャな、まるでゴムのような感じにしてしまうのか?それは――。
太鼓に酒を飲ませるのだ!! というのは半分本当で、後ろの穴から、伝統的にはマテ(つば)を数滴落としたり、濡らした手の先から水などを数滴たらしたりして、打面の裏側を軽く湿らせる。それを全体に伸ばしながら良く揉み、調節するのだ。すると皮はさらにゴムっぽさを増し、グニョグニョ状態になるわけだが、これだけではあの「ンブルン!」という音は出ない! この後更に、2のスクティ独特の叩き方をマスターしなければならないのだ。

最後に2。すでに打面がグニョングニョン状態になったスクティが、ベコベコになった訳では無い。これもこのトカゲ皮の特徴だが、ある程度の張りを保ったまま、皮の状態だけゴムの様なやわらかさと弾力で、グニョグニョとなるのだ。
当然、普通に叩いても音なんかこもってしまい、とてもあの「ンブルン」にはならない。又、Djembeや、コンガのスラップの様に叩いても、そのインバクトを皮のやわらかさが吸収してしまい、これまた×(バツ)。じゃあいったいどうやって!?・・・。
それは指を使うのだ。打面に対して指を開いた手をある程度角度をつけて構え(小指が下になるように、つまり小指から順に打面から遠ざける)そのまま落とすと指がそれぞれ「パララ」とバラバラに当たる、こればあの「ンブルン」の正体だ!!
インパクトが強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。オープンの場合は手首のスナップを効かせ弾くように叩くが、ややミュートしながらとか、左手の指で打面を掴むようにして音の高低をつけたりとか、反対側の手ですぐクローズのスラップぎみに叩いたりして、様々な音を出す。

Djembeのようにパンパンに、打面に対してテンションを加えて張ると叩いた後の音のレスポンスは極めて速くなるが、同時にサスティンは失われていく。又、音のベント等がしにくくなる。よって、かなり速いパッセージで連打しても音の分離がいいので、粒がたってはっきり聞こえる。
「カラココカココカ!」
逆に、スクティのような太鼓の場合レスポンスが遅いのだが、サスティンが長く、音も自然にベントされ、又、自らその具合を調節することも容易くできる。速い連打をすると、インパクトの後音が少し遅れるので、分離もDjembe程よくなく、独特の感じになる。
「ンブクトゥンブクトゥン!」

どちらもそれぞれ甲乙つけ難い面白い特徴を持っている。このように民族楽器というモノは全て各種類独自の奏法、態型を持っていて、叩くモノ(打楽器)1つとっても、これだけの違いがある。
その中には比較的奏法の易しいモノ、逆に難しいモノ、アンサンブルのシンプルなモノ、複雑なモノ、沢山ある。又、その奏法や、アンサンブルの基本が似ていて、応用のきくモノ、まったくきかないモノ。アフリカには、否ケニアだけでも、沢山の種類の民族楽器があり、だからこそ面白く、興味がつきないのだ。

例えば、ギリアマのゴンダなんかを学びこれを修めれば、カンバのムカンダなんかのキメは覚え易くなるだろう。しかし、カンバのムカンダは大きな両面太鼓を使うので、ブンブンブ、ムションドの奏法の応用は難しい。これにはチャプオや、ポチモも太鼓の奏法が向いている。ラテンのコンガ等の奏法をセンゲニャに持ってきたらどうか? 手順がスムーズになり過ぎて、あの独自の唄い回しが失われるかもしれない。でも、逆に新しいモノが生まれるかも知れない。又、センゲニャの感覚をラテンのコンガ等に持ってくると、一風変わったモノになるのはマーシャ達によって証明されている。
日本にうじゃうじゃいるDjembe奏者の奏法はスクティにはまったくといっていい程適用できないし、事実、使えなかった。ブンブンブ、ムションドに対しても同じだ。
カシシ、マラカス等のシェイカー類もカヤンバへの応用は難しい。
まぁ、こうやって例を挙げていけばキリが無い。

そして実際のところ、その差異はあれこれ考えてみてもダメで、やっぱり自分でやってみないと分からないんだよな。個人差もあるしさ。
だけど、広く浅く片っ端から軽く上っ面をなめる程度やっていけばいいかというと、それも1つのやり方だろうけど、僕は賛成しないな。
1つのンゴマでも、学んでいくうちに、知れば知る程、又新しい事を知ることが出来るし、だから、1つを深く掘り下げる事、出来る限り広く感覚を持つ事。この一見矛盾する2つの事をバランスよくやっていくしかないんじゃないかな? あとはその個人個人の器量だな。
MasaiBrace

<続編14> B

ルイヤ族のンゴマ <スクティ>
ボーマス・オブ・ケニア泊まり込み修行の顛末

(2002/08/01)

前回話したスクティの「音」の秘密だけれど、毎日の練習のおかげでその仕組みが分かってくると、どんどんマシになってきて、その面白さもどんどん増してきた。しばらく週末を利用したボーマス通いが続いたが、遂に新学期前の休みにナイロビに残り、集中してアルクェにスクティを教えてもらう事に決め、テント持参でボーマスに乗り込んだ!!

アルクェは酒が好きだ! アホほど飲む。又、同じくクイチャも酒が好きだ。従って、自宅にあった元ルームメイトの残していったウィスキー類を全てバッグに詰め込み、それをウチュミ(※大衆向けスーパーマーケット・チェーンの最大手)で買ったウィスキーボトル数本と共にまず、旧知の仲であるクイチャの所へ行って、本日のショーの最中のアルクェを待つ間、クイチャと談笑、しばらくするとスクティのレッスン代の代わりにとっておいたウィスキーのボトルを開けはじめる。急な来客(僕ね)の為に余分に夕食を作らなければならなくなったクイチャの奥さんに申し訳ないと思いつつ、もう2人はほろ酔い気分。ウヒャヒャヒャヒャヒャ!

机を叩き、ンゴマを教わっていると、さぁ、クイチャの息子のチャロやら、ガラマの息子のカタナやら、イディの弟やらがやって来るやって来る! スクティの修行なのに、やはりいつの間にか回りはミジケンダ勢で埋め尽くされてしまった。
ムカト・ワ・トヤの息子、エリックも居るぞ! そうだ! 奴にハイェ?フオー(唄の名前)の歌詞を教えてもらおう!な〜んてやりながら、僕のウィスキーのボトルはどんどん空になっていく。もちろんマーシャも一緒で、ほろ酔い気分・・・。

しばらくすると、やっと本命のアルクェ登場!! もうすでに結構ベロンベロンの僕らに多少面喰らいながらも、酒という酒!が目の前にあったら、とりあえず「飲む」というアルクェはとにかく物凄いスピードで飲み始める!
飲み始める前には、アルクェにはこれからのレッスンの予定を、アルクェが忙しい時にはクイチャにギリアマのンゴマのレッスンをと、色々話す事があったのだが、アルクェが酔っぱらう頃には、もうそんな事はど〜でもいい事のように思えてきて、僕は全てを放棄して酔った。

断っておくが、僕はあまりお酒を沢山飲む方ではない。又、あまり多勢でガヤガヤするのも好きな方ではない。うっとおしい奴等とまずい酒を飲むくらいなら、一人で何のサカナもなくチビチビやっている方がよい。
でもこんな夜は最高だぁ。いくらでも飲めるし、楽しく酔える。 いってみな〜!!

夢のような時間が終わりに近づいてくると、マーシャがチャロ、カタナ達に本日の僕の寝床について指示を出し始める。
もうすでに10時を過ぎ、テントで泊まるはずだった近くのユースホステルは完全に無理で、後はこのボーマス裏の職員達の宿舎に泊まるか、そこから離れたマーシャの家か、チャロ達(若者勢)の家の近くにテントを張るかしかなくなった。
酒を飲まないチャロは必死に、
「ウチの親父達はもうベロンベロンに酔っぱらっちまっているが、タワラがここに泊まった事が上の人間に知れたら大変なことになるんだ。悪い事はいわない。今晩は俺達の所へ来て寝た方がいい」と僕を説得する。

しかしクイチャ達は、「バカヤロー。俺さま達を誰だと思ってやがるんだ!!○×△◇・・・」と強気に僕を引き止める。しかしベロベロに酔っぱらっている。
勘忍のマーシャは、
「大丈夫大丈夫、心配はいらない。このムゼー2人にまかせておけば全てOKだ!」と言って、サッサと自分の家へ帰ってしまった。フラフラしながら・・・。

酔っぱらい達の意見と、シラフ(又はシラフに近い)息子達の意見と、今思えば答えは明らかなのだが、当時すでにチャロが3人程に見えていた酔っぱらいの僕には、この天井がグルグル回っている建物の中から抜け出して数百メートルも歩くなんていうのは無理な相談だったので、酔っぱらい達の意見に従う事にした。

この前夜祭というか"酒盛り"はチャロ達が帰った後も続き、最後、アルクェとクイチャどちらの持ち部屋に泊まるかで2人が廊下で少々もみ合っていたみたいだが、まぁどうせ酔っぱらい同士のケンカだ。放っておけ。とばかりに、2人の怒声を子守唄がわりにクイチャの倉庫に張ったテントの中で眠りについた。

朝起きて、チャイを飲み、ぼーっとしていると(クイチャはまだ寝ている)チャロ達がやってきて、一緒にチャイを済ませると、カタナとアウガスに手伝ってもらってユースホステルに向かう。ここはボーマスのお土産売りの場所を過ぎ、各民族の家を再現したエリアを通って裏道に入ると(ほとんど森)ちょうど裏門に出る。

テキトーな所にテントを張り、荷物を中に入れ、鍵を閉めると、本館の中を一応歩いてまわる。ここの寮母さんと子どもに挨拶をして、早々スクティを2つ持ってボーマスへ。

しかし、クイチャはまだおねむ。カタナはマーシャと同じグループの踊子なので、その練習に出掛け、アウガスはいつの間にか消え、ボーマスの職員であるアルクェは午前中合同練習があるので僕のレッスンは午後からで、仕方なくお土産売りの店の準備をしているチャロは完成間近のスクティ(自作)を持ってきてくれた。それはパイソンの皮を使っていた。前にも言ったが、蛇皮は荒いため、手を痛めてしまう。しかし音は大変良い。チャロはとてもいい奴なので、早く一流の職人になってもらいたいものだ。

さて、昼になってアルクェの所を訪ねると、彼はもうすでに横になっていて、レッスンはショーが終わってからだと一言いって、又眠りについてしまった。

この時、カパパ(イディの父親)が居れば、彼に教わっていたのだけれど、カパパは里帰り中だったので、一緒に少し学んじゃおうと思っていたセンゲニャもダメ。

やるせなくボーマス周辺を歩いてぐ〜るぐる回って時間をつぶした。

夕方指定の場所へ行くと、アルクェが隣に若い男を連れ、「もう、いつまで待たせるんだ」と言った表情で座っていた。とりあえずバーテンにビールを3本頼み、その若い男に挨拶をすると、アルクェが、「これは俺の代わりにスクティを教えてくれる、フェスタス・オキンダだ。こいつは俺の次ぐらいに上手だから、きっといい先生になるだろう。俺は忙しいからな」と言った。

おいおい! 僕はあんたに教えてもらう為にボーマスに寝泊まりしに来たんだぜ!?と思ったが、まあ黙っていた。

まず、僕のスクティ2つを見ると、2人は「あ〜っ!」と声を上げ、手にとり、色々チェックしながら話している。しばらくして「ん〜、ナカナカイイスクティを手に入れたらしいが、何しろ張ってある皮が悪い。2つともブルケンゲの皮じゃないか? もうそれだけで俺はがっかりだ・・・」なんて言うので、少しむっとしていると、フェスタスが「まぁまぁ、皮は本人がわかれば自然に取り替えるだろうし、レッスンを始めましょうよ」と、アルクェを促してくれて、レッスン開始!
「これじゃ何かやる気がでないんだよなぁ・・・」とかブツブツ言いながら、僕のスクティを肩慣らし程度に叩き始めると、出た!!あの「ンブルン!」という音! やっぱり凄い! すぐテレコを用意して録音を始める。
アルクェとフェスタスが2人でいくつかのバリエーションを見せてくれた後、僕の番になり、2人に見てもらう。音は前よりも出るようになった。しかし、どうしても右手を多く使っていた為に左手が弱くなってしまう。

2人に右手よりも左手の動きが大切だと言われ、左手リードのリズムを練習、又、この日は各楽器の基本的名称や、スクティの概要等を教えてもらった。アルクェの名前は、アンゴリオ・ムイタロ・アルクェ、イダホの人で、父親も有名なスクティ叩きだったそうだ。又、昔、A.F.C.(アバルイヤ・フットボール・クラブ)の応援太鼓の隊長で、その頃の演奏は今でもたま〜に町のテープ屋で手に入る。今はボーマスで結構偉い人らしい。
フェスタス・オキンダのほうは、出身はスクティがある所では無いのだが、自分で師匠についてその技術を身に付けた。昔、シェードホテルでマーシャと一緒に仕事をしていた事もあり、他の種類の太鼓や踊りもよくこなす。
この2人が僕のスクティの師匠となった。

この日は、いくつかのパターンと左手の強化という課題を残し、テントへ帰る。寮の方には昼の授業が終わり、若い子達が夕食の準備をしていた。この子達共すぐ打ち解けて、以後夕食は彼等の中から少しづつわけてもらう事になった。あはは・・・。
その代わりといっては何だが、ちょっとした日本語のレクチャーを開いたり、材料を買ってきたりさせてもらった。
皆10代の若い子ばかりで、田舎を出て一人で自炊をしながら勉強している。う〜ん。スバラシイ!!夜は彼と共に将来の夢なんかについて語り合った。もちろんカワイ子ちゃんもいたし、それなりに鼻の下を伸ばしていたりもしたが・・・。

僕だけテントで屋外での寝泊まりだったので、朝夕の冷え込みはけっこうきつかった。あと、雨にも悩まされた。そして一番不便だったのが、森の中だったので、ケッコウ変な動物があたりをうろついているらしく、ボーマスの人達にはハイエナが出るゾ!とおどかされ、辺りが真っ暗になると、決まって、カタナかチャロか、アウガスに送ってもらった。昼もヒヒやら、ブルケンゲやら何か小さいネコみたいなのやら、よく動物に出くわす。午前中には皆練習で忙しいので、1人テントの中とかでテープを聞きながら自主トレをする。昼食をボーマス裏の食堂でとり、フェスタスの部屋へ行って少しレッスンをして、そしてこれが大切!!毎日格安で(まっ、レジデントだからな)ボーマスのショーを見る事が出来た。

多分、ボーマスの創世期はきっと凄かったんだろうと思うが、現在は人手不足か、日によったり、人によっては出来不出来が激しい。それでも、ここに何日も暮らすようになって、かなり皆の顔を覚えてくると、それなりに面白い。
あの人は踊りが上手だ!とか、あの人はカヤンバだけはすごく下手だとか!向こうもまた、あいつが観にきているぞ!っていう感じで意識するし、ゴンダをやる時には、叩いている通り、僕も客席で叩いていたりするので、ケッコウ面白い。

よくボーマスの悪口をいう人がいるけれど、それはここの楽しい見方を分っていないからなのだ。僕は沢山の学生達(日本人)をボーマスへ連れていったが、皆楽しんでくれた。ピンきりだけれど、ボーマスは上手な人も多い。ただそれがステージで100%観れるかといったら、ウソなので、要は上手な人の本気を見る為にはこっちにも準備がいるという事なのだ。
悲しいけれど、心無い人達のせいで、本物のンゴマを観せられる人から、本物のンゴマを観せてもらうには、僕達親子側がその本物の部分を引き出してあげなければならない。これが現実だ。
又、ボーマスはステージ・オフの方が面白い。裏にある寮や、少し遠くに歩いていった所にあるチャンガー屋とかで彼等と語り合うと、次の時、ステージは100倍楽しいものになるのだ。
ウソだと思うのなら、僕と一緒にボーマスへ行こう。見せてあげるよ。皆の知らないボーマスの裏側を!

さて、僕のスクティの練習なのだが、これが・・・・全然順調!!というわけにはいかなかった・・・。

まず、僕の目的は「イスクティ」だったので、これを叩きながら自分で唄を歌うという、これをマスターしたかった!
でもね、このタイミングがね――。簡単に言うと、僕は「ミカン」にオンでノリながら、このノリをキープしつつ、自由にフィルを入れながら、かつ別のタイムでというか、ずれて入っていく唄を歌うのに苦労したのだ。
分かりづらいかな? とにかく僕のタイム感覚が甘かったのだな。又、ブンブルシャ1つにしても、いくつものニュアンスがあり、このニュアンスの部分がとても難しかった。
頭の中のイメージとしたら、自分の足にヴィフリを付け、これでテンポをとり、まるでインゴシさんのように自由に歌い踊りながら、アルクェ、フェスタス両氏のごとく、バシバシ イスクティを叩けたらなぁ……と思っていたのだが……。難しかった!

結論で言えば、誰か他の人にヴィシリやらを叩いてもらって、その上で――というのはまぁ出来る。でも、本当にすごいモノホンの彼等から見ると、今でもかなりしょぼい、というのが現実だ。ちくしょう・・・。

しかし、このスクティ修行もまったくの無駄に終わったわけではなく、いくつかの新しい発見があったりしたので、次回、そこの所を少し話そうと思う。
MasaiBrace

<続編14> C

ルイヤ族のンゴマ <スクティ>最終編
ネイティブと非ネイティブの間には……?

(2002/11/01)

まず、前にも言ったように、フェスタスは、イダホ・イスハ・ティリキ等の、元々スクティを持つ村の出身ではない。逆に、アルクェはバリバリのイダホ出身の人だ。2人共僕のスクティの師匠なのだが、僕はその多くの時間をフェスタスと過ごし、スクティの多くのテクニックを彼に学んだ。アルクェはその節目節目に現れ、しっかりと最終的な目標を再確認させてくれる役目となった。

どうしてこんな風になったのだろう?

他の今まで出会った多くの村のムピカジ(※スワヒリ語:<太鼓を>叩く人)達と同じように、アルクェは超スクティのネイティブだ。マーシャの父親・ムゼーC・Sこそがゴンダなのと同じように、アルクェ自身がイダホのスクティを体現している。そして、彼等の教え方はそれぞれ独自・独特で、その一つ一つが実は多くの示唆を含むものなのだが、それを理解するように、又は、理解できるようになる為には、そのンゴマが生きている土地で生まれ、育ち、大人として成長するまでの間に、長い年月をかけて自然に身に付いた感覚――そんなものが必要なのではないか? と思うのだ。
だから、スクティとアルクェはどうにも2つに分け難い程1つなのだ。当然そんな彼の感覚、やり方を理解する為には、我々の沢山の努力、試行錯誤が必要になってくる。
又、もしかするとアホみたいに努力、試行錯誤をして頑張ったとしても、完全に理解するのは無理なのかな? とも思う。時々……。

ギリアマのゴンダ、マブンブンブ等については、それなりに長い時間をかけて、村の彼等のやり方に慣れてきた。太鼓言葉もある程度理解するようになり、始めの頃に較べかなり早く学んでいく事が出来るようになった。それは、僕が村に入り、ンゴマを学んでいく限り、それ以外に道は無かったからだ。

スクティの場合はどうだろう?
2人の違うタイプの師匠を目の前にして今回は選択の余地があり、その選択の自由もある中で、僕は本物のオリジナルのスクティのネイティブに直接習う事をせずに、その弟子に習う事を選んだ。まぁ、あくまで最終目標はそのネイティブ(アルクェ)にあるのだが――。

その結果、わずか10日間かそこらで、以前よりはかなり上達した。
しかし……、という気持ちもまだまだあるけれど、技術だけはとにかく進歩した。

フェスタスはネイティブじゃあない。しかし、べらんぼうに上手い。又、ネイティブじゃないからこそ、色々な角度から説明してくれる。「ミカン ミカン」のノリについても、タイミングについても、音の出し方についても、いつでもちょっとしたアドバイスをしてくれる。恐らく、彼自身も相当悩み、工夫し、練習したのだろう。だから非ネイティブの疑問にも分かり易く、かつ的を射た答えを返してくれるのだと思う。

アルクェは他のムゼー達と同じように、余計な説明を一切しない。というか、出来ない。ただ、モノホンの、極上のスクティを目の前で叩いてくれるだけだ。スクティについて全ての事が彼自身と共にあるので、あまりにも自然すぎて、彼には非ネイティブの疑問がよく理解出来ないし、それに答えるすべも持っていないのだ。

2人の叩くスクティを較べると、確かに違う。それがネイティブと非ネイティブによる差なのか? ただ2人の年齢によるスタイルの違いなのか? 僕にはまだよく分からない。

ただ何度も言うが、他のスクティ叩きと較べても、フェスタスは全然上手い。でも、それは何と言うか……上手さの違いなのだ。

でも、アルクェとの違いは――、どうも上手さの違いじゃないような気がする。

非ネイティブでもあそこまで立派なスクティ叩きとなったフェスタスを見て、自分も勇気づけられると共に、あんなに立派なスクティ叩きになっても違う2人を見て、その差がネイティブ・非ネイティブの壁か、と思うとドヨ〜ン、気分が落ち込んでしまう……。

まぁ、これらは全て僕の仮説にすぎないのだし、2人の差なんてないかも知れないし、フェスタスは単に教え上手で、アルクェは教え下手なのかも知れないし、もしフェスタスに習ったとしても僕に何のベースも無ければ――スワヒリ・英語もろくに話せないのだったら、また違ってきたと思うし――。

とにかく、僕はンゴマを習いたいのだから、その為にはそんな先の事をグチグチ気にしていても仕方が無い!

でも、最終的には又、ギリアマの時のように、イダホの村に入り、暮らし、嫌になるほど試行錯誤を繰り返さなければならないのだろうな――と、思う。

さて、ルイヤのンゴマは他にも、リトゥングというニャティティを少し大きくしたようなハープなんかがある。丁度、ニャティティとオブカノの中間か、といった様な感じだ。

あと、僕が知っているのは、ボーマスのテープにも入っているブシアの方にあるンゴマで、これはまるでオルトゥの様な太鼓とリズムに、ちょっとブンブンブ的なキメがからむ、というものだ。

何なのだろう? これは! 1弦バイオリンのオルトゥ、シリリは楽器としてほとんど同じように見えるし、ニャティティとリトゥングもよく似ている。オハングラもスクティも同じブルケンゲ(※アフリカオオトカゲ)の皮を使っているし、ウガンダのジンジャの辺りに住むソガの人達や、ガンダの人達も同様に、トカゲの皮の太鼓を使い、8弦のハープや、1弦のバイオリンの様な楽器を使う。キシーのオブカノだって、大きさこそ違うけど、その型はニャティティ、リトゥングとほとんど変わらない。その中で、ニャティティのルオーだけがナイロティック(※ナイル語族)で、その他のルイヤ、ガンダ、キシー等は皆バントゥ?(※バントゥー語族)だ。
一体これらの楽器は、どこが始まりで、どうやって広まっていったのか? 実に不思議だ。
協力隊の人達でルイヤの村なんかで活動している人も沢山いるのだから、知っているのならば是非教えて欲しいものだ。――まぁ、無理だろうけど。

とにかく、色々あった僕のボーマスにおけるンゴマ(スクティ)修行はそれなりの成果をあげ、終わった。
その間に、ニャティティのProf.オジョワンとの出会いもあったし、素敵な踊子・カレンボちゃんとの出会いもあった。もちろん、キャンプをした寮の学生達との素敵な出会いもあった。

僕がボーマスを去る日には、クイチャと弟のカズング等が、突然、その日のボーマスのプログラムのゴンダに飛び入りで出演してくれ、スッゲー!!スッゲー!!モノホンのゴンダを叩いて見せてくれた。これには本当にびっくりしたし、彼等の心遣いに涙が出そうになった。
又、僕の密かな恋心を知ってか、オルトゥでカレンボちゃんと2人でソロの踊りをさせてくれたりと、うーん、つくづく自分がンゴマを学び始めて、彼等にめぐり会って、本当によかった、と思った。
本当にありがとう!

今、僕の頭の中には1つの考えが浮かんでいる。
このスクティの音はとてもユニークで、人を魅きつけるものだ。だから、この「スクティ」だけを何人も集め、あの「ミカン」のリズムの中に、ゴンダ等のような複雑なキメを入れて、ユニゾンで叩いたら……? さぞ格好いいだろうなぁー、と。 
又、イスクティ自体とてもユニークな特徴を持つ楽器なので、彼等が「ミカン・・・」を離れて他のリズム・ノリでも自由にスクティを叩けるようになったら、こりゃぁ面白い事になるぞ! なんて思っている。

まぁ、まず最初に僕自身がもっとちゃんとスクティをマスターして、それから自分自身でスクティの可能性なんかを示さなければならないのだけれど……。いつの事になるやら……。

じゃあ、次は国境を越えて、ウガンダのンゴマにいってみよう!!
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ンゴマについて

続編<14> @,A,B & C

<続編14>@ ルイヤ族のンゴマ「スクティ」 〜音が出ない!〜 (2002/07/22) 
<続編14>A ルイヤ族のンゴマ 「スクティ」 〜その後〜 (2002/07/24)
<続編14>B ルイヤ族のンゴマ 「スクティ」 〜Bomas of Kenayaで泊り込みレッスン〜 (2002/08/01)
<続編14>C ルイヤ族のンゴマ「スクティ」 ネイティブと非ネイティブの間には……? (2002/11/01)

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